「漁師の与次郎(よじろう)さんからもらった、智恵」
〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
以前、酒飲みであったが、漁取りの名人だった与次郎さんという漁師がおりました。与次郎さんは、1度海に漁取りに出掛けると、人も羨むような大漁をしてきます。ところが大漁した後は、決まって何ヶ月も酒を飲んで寝ているグウタラそのものの人でした。
ある時お参りで与次郎さんの家へ行ったら、案の定、酒を飲んで寝ていました。こっそり仏壇の前でお勤めをしていましたら、与次郎さんが後ろにひよっこり座っているではありませんか。酒くさい臭いをさせながら
与次郎 「オイ、坊ンズ、お経終わったか!」
与次郎 『坊ンズは、「なまくら観音トラ、ヤー、ヤー」と言うだけで、金がはいるんだべ』
与次郎 「おらはなぁー、網さして、魚とらなきゃ、金にならねんだ」
住職 「与次郎さん、酒飲んでばかりいたら、漁にも出られないし体に悪いよ。少し控えなさい。飲んでばかりいないで、漁に出なきゃだめだ、せっかくのニシンが逃げちゃうよ!」
与次郎 「んだ、あすた、漁にでるっす」
丁度、3月末のニシン漁の季節だったので、本人は多少の焦る気持ちもあったのだろう。珍しく、私のたしなめに、うなずいた。次の日、漁に出るというので、本当かどうか確かめに、与次郎さんの家に伺った。すると
与次郎 「オイ、坊ンズ、大漁(だいりょう)だ!」
与次郎 「ざっと300箱、300~400万円ぐらいはある」
与次郎 「俺は、組合長の三次郎より偉いんだ、だって四(与)次郎だからな。四は、三より上だ!」
(三次郎さんは、ずっと以前の組合長)
こうトンチを酒の肴にまた酒を飲んでいた。
住職 「与次郎さん、酒を飲む前に、ニシン漁のやり方を聞かせてくれ」
与次郎 「ん、ニシンか!、ニシンはな、むずかすいんだ。」
「まんず、天気だな、明るくてもダメ、暗くてもダメ」
「ニシン曇りってあるべ、寒くもなく暖かくもなく」
「そすて風だ、山瀬はだめよ、少す南西の風でねーとな」
「海の色、丘の色、丘の地形、潮の流れを見てな」
「要は、頭だ、長年のカンだな、俺でねーと分からねぇのよ」
住職 「そうすれば、ニシンは、取れるのかい」
与次郎 「だども、だけんど、俺でねーと分かんねーな」
昔から、ニシン漁は、大バクチといわれる。2つの網を並べて刺しても、片方は大漁でも、一方は、全く無しの漁らしい。
ニシンは、群れを作って走るので、群れの前方から網を仕掛けられると、それこそ大漁、大金持ち、しかし、群れの後追いになると全くの無し、大借金とのことだ。
ニシンの群れの流れを読み、産卵場所を推測して網をかけるのだ。
あの大海原に、数平方の網をかけ、群れの大漁を狙うのだから、大バクチと言っても過言ではない。
与次郎さんは、ニシン漁のノウハウを私に伝えた後、数年後肺がんになり、1年あまり闘病し亡くなった。
今、考えてみれば、与次郎さんの、取って置きの遺言だったのかも知れない。
ただ、飲んべの与次郎さんは、逸話だらけだが、この辺の飛び切りの名漁師として今でも、漁師仲間の語り草として語られている。
さて、ここで与次郎さんを通して重大なことが分かったものだ。
それは、「智恵」ということである。
一般に難しい知識を知っている人は、頭が良いと言われる。
そして何をおいても、優れている人間と見られることが多い。
しかし、間違えてはいけない。「頭が良い」のと「賢い」とは、違うのである。
与次郎さんは、小学校もろくに出ていない。昔は、学校に行くより、ニシン漁の手伝いに出る方が重要だったからだ。
この与次郎さんは、魚を取る技術は、誰も肩を並べられない能力を持っていた。
それは、いったいどこから来たのだろう。
あの広い海に、どこに標的があるのかを、天気と水温、水の色、地形、潮の流れを見て瞬間に判断するのである。
これは、知識ではない。経験則とも言えるが、どうやらそれだけではないらしい。他の経験豊かな漁師さんが言うのだから。
これはニシン漁を通して、自然条件とニシンの生態から自然の法則を見出した、「智恵」いわゆる「賢さ」であると私は見ている。
漁を取る時、所謂漁の法を修する時の与次郎さんの集中力といえば、大変なものだと本人は言っていた。
これは、座禅をする時の集中力と同じだ。
集中すると、確かにその時の現実を越える力を発揮するのが人間である。
心を集中して「法」を修した後に発生する能力は、それこそ大変なものであることは、私自身も「求聞持法」を通して知っている。
また「智恵」は、「光」に代用される。
お灯明や献灯は、その代表だが、暗闇の中に一点の光は、何とも心強いものだ。
四国霊場の御大師様誕生のお寺、善通寺には、地下回廊がある。
真っ暗闇の中を、壁を伝いに手で探りながら前を歩くのは、それこそ暗闇の恐ろしさが伝わってくる。
その時体験したことは、暗闇の中に1点の光はどれ程大切なものか、よく理解できたものであった。
「光」は、自分の歩く行き先を照らす案内人であるし、何よりも弱い心に安心感を与える大きな指針である。
与次郎さんの「智恵」は、ニシン漁師本人の「道しるべ」であった他に、その逸話と技術は、後世の漁師さんに大きな「光」、「道しるべ」、「安心を与える教示」として残したことには間違いない。
「智恵」は、物を良く見つめること、心に集中する力があること、落ち着きがあることから生まれる。
決して「知識があること」だけが、「智恵者ではない」ことを与次郎さんの逸話からつかんでいただきたい。