【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「お盆」

〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

 8月は、北海道など旧暦のお盆の行事が行われる月。
「お盆」の行事は、仏教国である日本にとって、大事な民族行事といえる。

「お盆」という言葉は、当て字である。
もともとは、「ウラバンナー」というサンスクリット語から由来する。
この言葉を中国人は、「孟蘭盆(うらんぼん)」と漢字をあてて音翻訳し、読み継がれて「おぼん」という呼び名になったようである。

また、「ウラバンナー」の意味を中国語で「倒懸(とうけん)」と書く。
この意味を日本語に直訳すると「さかさまに吊るされる」ということになる。

「さかさまに吊るされる」とは、おかしな話だ。
しかもそれがお盆の言葉の意味なのだから、実に不可思議なことと思うことであろう。

この言葉の意味を現実社会に当てはめて考えると、それは、「人の道、人が住む社会である世の中が、さかさま、本末転倒した出来事が起き、仕組みになっている」と言うことに突き当る。
さかさま、本末転倒した世の中、そこに居る人のあり方を、お盆の日にじっくり見つめ直し、正常な社会、世の中、人の道に正して行こうと教えているのが、実は、お盆の本来の意味である。

しかし、何故「さかさまに吊るされている」ことが、お盆の行事につながったのか、孟蘭盆経(うらぼんぎょう)というお経の中から探ってみる。
その意味を知るには、お経にある逸話を紹介するのが早い。

「目連尊者(もくれんそんじゃ)のお話」
お釈迦様が在性当時、弟子の中に、行を積んで神通力(じんつうりき)を身つけ、修行僧仲間から一目置かれていた目連尊者というバラモンがおりました。
尊者は、自分が仏教僧としてお釈迦様の中でも選ばれた僧侶となったのには、母親のお陰と思っておりました。

しかし、実際は、尊者の家が貧しかった為、お母さんは不正を働いて財を作り尊者を一人前にしたのでした。
また、お母さんは、尊者が一人前になる前にこの世を去っておりました。

そこで、亡くなったことを知らないまま大きくなった尊者は、一度お母さんに会いたい、お母さんに報恩感謝の念を示したいと思い、自分が身に付けた神通力をもって、あの世のお母さんに会いに行ったのでした。

神通力をもってあの世の世界を探し回っておりましたら、激しく炎が燃え盛り、熱湯がぐつぐつと音をたてて煮えたぎっている所にたどりつきました。

その場所を探し回っておりましたら、丁度崖のような断崖絶壁の所からさかさまに成って吊るされている女の人を見つけました。

近寄ってみて見ますと、それは何と言う、すざましい形相をした、尊者のお母さんでありました。
その姿は、お腹はどっぷりとふくらみ、目がギョロギョロと飛び出て、手や足はまるで針のように細く、そして首までもが針のように細くなり、ウォーウォーとのどをかきむしっている姿でした。

尊者のお母さんが吊るされていた所は、餓鬼道(がきどう)という世界でした。

尊者は、びっくりし、その世界から急いで、自分の母を助けだそうとしますが、熱さと強烈な熱湯で近づくことができません。
また、かきむしっている喉の渇きに、持ってきた水を差し向け、差し出そうとしますが、近づけるとその瞬間にパァーと消えてなくなってしまいます。
尊者は、どうしようとしても、あがくだけで、どうにもなりません。

急いで現世に立ち返り、お釈迦様の所に出向いて、どうして自分の母が、そのような世界に落ち込んでいるのかを尋ねました。

その時、お釈迦様は、こう言いました。
「お前の母は、生前中に不正を働いて、蓄財をした。理由は、どうあれ人の道に外れた行為には、間違いなく、その罪の罰として、あの餓鬼道という世界に落ちたのだ」と言われたのでした。

尊者は、嘆き悲しみ、お釈迦様に母の罪の許しを乞うたのでした。
そして、餓鬼道の世界から助け出し、真っ当な世界に戻したいと願いました。

お釈迦様は、こういいました。
「それならば、お前一人だけの力では、到底助け出すことは出来ないから、丁度4月~7月の間、精舎(しょうじゃ)という修行道場で修行を積んでいる僧侶がいる。その大勢の僧侶達の力を借りてなら餓鬼道の世界から助け出すことは出来る。その僧侶の力を借りなさい。
ただし、修行僧は、修行中は、何も口にしない厳しい戒律の下に修行を行っている。その行は、7月15日に空けるので、その時に食べ物、飲み物などを供養してあげなさい」と教えられたのでありました。

尊者は、いそいで精舎に行き、沢山の食べ物と飲み物を供養して、お母さんを助け出すことを懇願しました。

そして修行の空けた多くの僧侶と尊者は、神通力をもってあの世に飛んで行き、燃え盛る炎と煮えたぎる熱湯の舞う餓鬼道の世界から、常道の世界に連れ戻すことが出来たのでした。
現世に戻った皆は、その様子を村人に伝え、皆と共にその喜びを分かち合い、手を取り合って踊り回ったと言われております。
実は、これが盆踊りの始まりとも言われております。

この逸話は、孟蘭盆経というお経の中に書かれている内容です。

このお経からは、邪悪の行いや邪悪の心を持っていると、真っ当な世界には住めない。
その邪悪な心を修めるためには、修行を行った僧侶の力を借りて、邪悪を退治すれば常に正常な世界、所謂、常道の世界に住むことができるのだという事を教えております。

「さかさまに吊るされている」のは、本末転倒した異常な情況を示す事ですが、そのような異常な情況下の中にあって、
真っ当な行ないをする人が多くいることで、とりも直さず常道で正常世界を築き上げられると教えております。

お盆の行事は、このようなお経の教えに基づき、地域の民族伝統分文化である祖先を崇拝する、大事にするという風習と一緒になり、今日の「日本のお盆」の行事が作り上げられした。
「お盆」の本来の意味を知りつつ、日本人の先祖を敬う心の文化とを加味した大事な行事の意味を今一度知っていただきたいと思います。

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