「足るを知る」の言葉から
〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
「足るを知る」とは、「知足(ちそく)」と書く。
この意味を簡単に言うと、自分の心の容量(キャパシティ)を知ることだ。
心の容量を知ること「知足」は、別の言葉では「集諦(しゅうたい)」とも言う。
これは「心に根ざす原点や心の容量を、自覚すること、認め合うこと」をいう。
お釈迦様は、亡くなる寸前にこう言っている。
「汝ら比丘、諸々の苦悩を脱せんとせば、当に知足を観んずべし。
知足の者は、地上に臥すと雖も、尚安楽なり、不知足の者は、天堂に処すと雖も、亦心に契わず」
意訳;
「如何に何億もの富を積んだとしても、どんなに偉くなったとしても、足ることを知らないと、常に心には不平、不満ばかりで絶えることはない。
足らないとばかり、不満の心を持つから、貧乏して日を送ることになる」
「しかし、裏長屋に貧しく住もうとも、綺麗な着物が着られないからといっても、常に、足ることを知って、心に満足を感じられ、感謝の日を送ることの出来る人は、何億という富のある人よりも豊かである」
このような立派な言葉を、いかに説明したとしても、今日の厳しく、不安で、暗い社会状況下、経済状況下では、生活にも、心にも「余裕」や「ゆとり」がなくなっており、空しく響く。
先日、65歳定年で離職した一人暮らしの初老女が、
「雇用保険が3月まで300日であったのに今は180日、まだ保険金は出ない。でも介護保険料は、すぐ請求された。保証は後で、請求が先とは矛盾している」
こう言って明日の生活の不安を訴えていた。
また、あちこちの企業、会社が倒産し、再び銀行も整理の対称となり始めている。
そして、テロだの、戦争だの、不安を掻き立てる材料には事欠かない。
人々には「いったい、どうなるのだろう」と漠然とした不安が満ち溢れている。
顔に色艶がなくなり、不安を抱え、目元に動揺を示す信号が見える。
このような日本国内での現象は、「足るを知る」ことを忘れ、富と欲望を、際限なく追い続けた、過去におけるバブル期の「ツケ」であることに変わりない。
加えて、見えない敵「テロ」が、社会生活と自分の命にまで不安の影を見せるようになってから、「余裕」や「ゆとり」のなさは顕著になった。
「何故、テロなのか」、「何故、戦争なのか」、わからない。
抑圧された弱者の怒りとも言う、共存心や慈悲心を失った狭い宗教心のせいとも言う、資本主義巨大国家のおごりとも、グローバル主義への抵抗とも言う。
戦争は、古代から現代までなくなった事ない。
地球上では、絶え間なくいつの時代でも紛争や戦争が起きている。
自分の存在を誇示し、自分の生活を確保し、自分の世界や立場を守る時、そして、自分の宗教を強く意識し、自分の神と信仰を守ろうとする時、必ずと言ってよいほど衝突が起きている。
平和は、民族間、宗教者間の違う心を持つ同志が、互いに認め合い、共存する意識がなければ生まれない。
そこには、「民族が持つ慣習、信仰心、存在意義などを、互いが持つ心の容量を知り、認め合う必要がある」
またこれまで、ダーウインの進化論から出発した近代哲学にもとづき、人類は、永遠の発展と生存は、「当然」という理論のもと、科学も経済も政治も、全てが前進あるのみ、後退は絶対に有り得ないという、完全前進主義の考えのみが、世界思想の中心であった。
ところが科学が万能と考え、産業発展を究極スローガンとしていた、アメリカ、日本、ヨーロッパの過度の経済発展がもたらしたものは、 発展の裏に「地球の環境破壊」、「温暖化現象」、「オゾン層破壊」、「南北経済格差問題」、「テロ問題」など、人類に大きなマイナス負担を強いることになった。
またIT産業を中心とした産業発展は、地球上のグローバル経済化を推し進め、安価、便利、空間や時間短縮を推し進めた一方、世界経済と共存していた各国の地方経済や地域民族の生活様式、また途上国の経済まで破壊している。
今やアメリカを中心としたグローバル経済は、発展こそあれ後退があっては、最早生き残れない世界経済の仕組みを作り上げた。
世界は、一見永遠に向かって発展し続けているかのような錯覚をするが、その裏側に、大変な貧困、悲劇、危機を生んでいる現実が見える。
ここでもう一度立ち止まって、じっくり考える必要がある。
「科学を始めとした技術革新、グローバル経済の発展は、永遠のものであるか否かである」
人間が、世界を牛耳っている以上、自ずから限界はある。
「私達が生きる地球上は、有限に存在する物を上手に使ってこそ永遠が勝ち取れる筈である」
今日の「自分が使うものは、無限に存在する」という、「おごりの心」の上に立って、世界が動かされている事こそ問題である。
言い換えれば「人の心には容量が決まっており、無限の欲求に沿った現実は、有りえない」ということを悟ることである。
心の容量を知り、地球上に限界を認識した上で、宗教、民族、人種を超え如何に、共存できるための方策を探るのが、今、何より大事だ。
「自分の神のみの主張」、「平和共存を忘れた自分の民族のみの存在の主張」、「他を抑圧までして、自分の富の欲求を際限なく追及する姿勢」、 「地球は有限ということを忘れて無限の経済発展のみを追及する姿勢」
これらの考えのどこかを強調し過ぎる現代思想は、部分的に成り立つことはあっても、皆が共存し、認め合う思想には成っていない。
今、仏教思想が持つ、共存できる教え「自他の利益」を説く必要がある。
この思想を、自ずから携えている私達日本人が、これからの世界の動きを変えられる大事な要素をもっているように思える。
今こそ、その手本を示す時を迎えたのではないかと思う。