【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

札幌・羽幌での十三参り・水子供養【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】公式サイト

  • トップページ
  • ニュース
  • 真言宗と弘法大師空海について
  • お言葉
  • 真如院の歴史
  • 真如院について
  • 住職について
  • 行事
  • お経
  • 節分厄払い法要
  • 朝寺の会
  • 俳句会
  • 永代供養
  • お問い合わせ
  • お問い合わせ
  • 個人情報保護方針
永代供養
心の療養院でのカウンセリング
年忌表・四十九日表
住職行事予定表
お経
成田山真如院公式YouTubeチャンネル
虚空蔵菩薩求聞持行回想及び社会で実践した臨床事例記録~求聞持行回想、瞑想分析、五つの臨床事例、不動護摩修行回想他の記録|著者 高山 誓英|定価2,000円(税別)|成田山真如院住職「高山誓英」初となる著書「虚空蔵菩薩求聞持行回想及び社会で実践した臨床事例記録」が出版されました。僧侶としての修行とスピリチュアケア学、臨床瞑想法理論と実践、様々な社会的な臨床事例から気付いた回想記録を一冊の本にまとめました。

お言葉|【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養などお言葉|【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

「お盆が教えるもの」

〈更新日: 2002年08月07日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

 お盆を迎え、丁度一年の中間に差し掛かった季節となった。

お盆は、国をあげての民族行事であるだけに、国中に大移動がおきる。

ここ田舎にも多くの帰省者があり、お陰で田舎にとっても一番にぎやかな時を迎えられる。

また、お盆の行事は、季節の中間に位置し、「春、夏」から「秋、冬」へとバトンタッチする季節をつなぐ行事とも言える。

お盆に家族が帰省し、そしてお正月に帰省する。
これは、昔から故郷を互いに共有する東洋の民族独特の行事だ。

また、これを別の言い方をすれば、集団思考、集団行動を主とする民族が行う「家族の絆を結ぶ」行事とも言い換えられる。

多分、これは「お盆」が持つ、先祖崇拝の習慣を通した「親子愛、家族愛」などの精神が生きている姿だろうと感ずる。

お盆は、「ウラバンナー」という言葉の当て字だが、この言葉の内容は、「孟蘭盆経」の中に家族愛、親子愛、隣人愛などをポイントに描かれている。

 お釈迦様の弟子の目蓮尊者は、亡き母を自分が身に付けた不思議な透視術、天眼通(てんげんづう)という魔力をもって探す。

すると母は、煮え湯がグツグツと沸きあがり、真っ赤な炎がゴゥーゴゥーと音を立てて燃え上がる、餓餽道という断崖絶壁に、足から逆さまに吊るされている姿を発見するのである。

驚いた目蓮尊者は、お釈迦様に尋ねる。

「どうして私の母は、そんなとんでもない所に、しかも逆さまに吊るされているのですか」

お釈迦様は、

「お前の母は、生前の行いの悪さ、悪業(あくごう)の強さで他人に危害を加え、良いことをしてこなかった。
その報いとして、餓餽道という世界に、しかもそんな姿で吊るされているのだ」
とお答えになった。

目蓮尊者は、お釈迦様のお話しに首をうなだれ、自分の母の生前の行いを詫びるのである。

そして、急いで沢山の食べ物と水を持ち、一人餓餽道の世界へ降りて行く。

餓餽道の世界で目にした母の姿は、目とお腹がドップリとふくれて出ており、首や足がまるで針のように細くなっていた。

母を哀れみ、必死に助ける目蓮尊者は、母に水と食べ物を与えようとするが、
母が水や食べ物を手に取って口に入れようとすると「パッ」と炎に包まれて消えて無くなってしまうのだ。
しかも、何度やっても同じなのである。

目蓮尊者は、これでは自分の力のみでは、母を助け出せないと悟り、現世に戻りお釈迦様の前に出向き、再度懇願するのである。

お釈迦様は、「そんなに母を助けたいのなら、旧暦7月15日、安居(あんご)という修行道場に、修行して身に付けた神通力を持った僧侶が大勢いるので、その大勢の僧侶に頼み、皆の力で助け出してもらいなさい」と諭す。

目蓮尊者は、急いで安居に出向き、僧侶達に、母を助けてくれるように頼むのである。

そして、目蓮尊者と多くの僧侶達は、
針のように細くなった喉に通る食べ物、「切子(キリコという野菜、米などを細かく切り刻んだ食べ物)」と「水」を持って、餓餽道の世界へ降りて行く。

そして僧侶達の神通力(じんつうりき)と伴に、母に食べ物と水を与え、餓餽道の世界から現世のまともな世界へ助け出すのである。

そして、喜びながら手を取り合って踊ったのが「盆踊り」とされる。

 このお話しは、孟蘭盆経というお経の中に書かれている逸話であり、お盆のお参りには、必ず使う話である。

このお経の中に書かれている内容の主旨は、
「世の中の異常な状況を正常に戻す」こと、

「目蓮尊者の母親が、餓餽道という異常な世界に逆さまに吊るされる」こと、

「僧侶達の大勢の力を持って助け出し、正常まともな世の中に戻した」こと、

などに大きな意味を持つ。

また、「母を思う心と親子の絆」、

「お釈迦様という絶対に信頼する人の言葉を信ずることが出来る力」、

「神通力を持った僧侶達と協力しあえる心」

など、私たち社会に住む人間達が持つべき心のあり方、信心のあり方を教えている。

そして不思議な物語に合わせ、人間社会に不足しがちな「様々な、愛の姿、形」を確認する内容をも同時に書き記す。

 昨今の世の中は、凍りつくようなゾットとする悲惨な事件が毎日、全国で発生している。

いかに人間社会の基本的な法、ルールが欠けてしまっているか嘆かざるをえない。

「生命(いのち)を尊ぶ心」、「親、子同士が愛し合う心」、「人間同士が愛し合い、信頼し合う心」、「社会秩序を保つルール」は、どうして今は、なくなってしまったのか。

「自己本位」、「自己中心」がここまで頂点に達してしまったら、未来の人間社会の存在は、最早、全く見えなくなってしまった。

「もう、明日には暗闇しか見えない」と嘆く人ばかりである。

「仏がなくんば、光明見ず」は、現在の世の中なのか。

こんなか中「お盆」の行事を通し、仏様の心を教え、人間社会のあり方を教える「お盆」の精神を今一度確認し、明日の生活に役立てて欲しいものと、切に願うものだ。

お言葉トップに戻る
Copyright (C) 2011 高野山真言宗成田山真如院