「医療、介護制度改革の矛盾から」
〈更新日: 2002年08月24日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
お盆期間中にこんなことがあった。
「お金」にめっぽう執着が強いじいさんの所へお参りに行った時の話である。
そのじいさんは、多少足が悪く歩行に支障をきたしているが、生活するには何も問題はなく、毎日好きなバクチをして暮らしている。
しかし、昔から「お金」には、めっぽう執着が強く、特に土地取引や何かの請負手数料など、「お金」になると思えば、他人がなにを言おうが、自分の言い分だけを押し通し、「お金」をカスメとる人間だ。
私は、このじいさんの家に縁あって数年前からお参りに行く派目になっており、先日、お盆のお参りに行った。
玄関を入るなり言うのである。
「坊さん、あんたは、町会議員もやってるから、介護の問題も明るいだろうから、話を聞いてくれ」
「この足の不自由な年寄りを捕まえて、国民健康保険料と介護保険料を少ない年金からからカスメ取っている」
「障害者を捕まえて何たることだ。わしは、国民健康保険料は払っておるが、介護保険料は払っとらん」
こう言うのである。
『じいちゃん、介護保険料は、年金から天引きされている筈だから、そんな事にはなっていない筈だよ。どうしてそんな事を言うのだい』
『障害者には、減免措置があるかも知れないが、介護してもらうためには、保険料を払っていないと介護してもらえない制度なのだよ』
「保険料もとられ、そして介護してもらえば、また介護費だと言って金をとる。しかも、わずか1時間かそこらしか見てくれない。おかしいじゃないか、障害者の年寄りを捕まえて2重に取っている」
『じぃちゃん、介護制度は、若い人もお年よりも一緒になって保険料を出し合い、そしてさらにお年よりが介護してもらう時にも負担し合う制度なんだ』
『制度を良く理解しておかないと、そんな問題が起きてしまうんだ。制度を良く理解してください』
「以前は、何でもただでやってくれた。小泉首相は、弱いものいじめしている。またお前ら町会議員や町長も、よってたかって金を取る制度をこしらえている。
わしは、介護してもらわんでいい、だから保険料は払わん」
こう言って制度の矛盾を突きながらも、理屈の通らない文句を浴びせるのである。
しかし、帰り際に私は、『じいちゃん、皆お互いに支えあうのが介護制度なんだよ。だから自分だけが払わなくても良いという「わがまま」は通らないんだ。保険料は、ちゃんと払ってくださいよ』と念を押して帰った。
そうしたら間もなく、じいさんからお寺に電話が掛かってきた。
「坊さんたる者までが、年寄りをいじめるのか、大声で保険料を払えとは何事か。そんな坊主にきてもらわんでいい。もう家に来るな」
『ああそうですか。言葉が悪かったかな。ごめんね、分りましたよ』
こんなやり取りをして終えた。
普段から「お金」には、めっぽう執着が強いじいさんだけに、自分の言い分だけは容赦なく押し通してきた。
しかし、このやり取りを通して、じいさんの「ごう付き」なわがままと伴に、介護制度の矛盾とこれまで国や市町村が、何事も介護の面倒を無料で行って来た弊害も合わせて感じさせる一こまを見た思いがした。
このごう付きじいさんとのやり取りを通して、「人間特に年寄りのわがまま」や「急激な制度改革について行けない心の葛藤」など、現代社会に潜む矛盾をも垣間見させてもらった。
こんなやり取りがあった数日後、今度はある病院の先生の奥さんのお父さんの法事があった。
その時今度は、医療制度改革が問題となった。
先生は、医師の診療報酬減額に合わせ、社会保険患者の3割負担について不満を述べていた。
「今後老人世帯ばかり増えていくのに、結局はツケを国民に回す制度だ」
「今回のは、医療改革ではなく、医療費修正だ。お年よりは、たまったものでない」
「医療保険による入院などの診療期間は、3ケ月となっている。医療行為を継続しようとすると老人健康保険施設などに一時入院させ、また再入院させるなどして長期患者には対応していたが、これからは規制される」
「結局は、医療保険が適用されなくなった患者は、介護保険へと切り替えられる。
この切り替えの繰り返しは、今後増えることが予想され、多分介護保険料は値上がりすることになるだろう。これでは、全くのイタチごっこで、何の解決にもならない」
このように、ごう付きじいさんと同じように医療制度や介護制度の矛盾をついていた。
しかし、私からは、地方での国民健康保険会計の話をして理解を求めた。
『先生、ここの町で対応している国民健康医療保険会計は、老人健康医療保険会計への穴埋め出費負担が多く、赤字解消のために常に持つ出し傾向が続いている。
そのため一人当たりの国民健康医療保険税の負担率は、ここ数年で値上がりし続け、約5年で30~40%ほどアップしています』
『国民健康医療保険制度は、人口の多い、少ないで負担率が違っており、地方での負担率は、人口の多い都市と比べて2倍近い違いがあります』
『医療費の不足分を保険でまかないきれなくなっているのに合わせ、地方での保険料負担が年々個人に割増させていくことには、問題が生じています』
『ですから患者から負担も行ってもらわないと対応し切れないのが現状なのです』
『今回の社会保険適用の患者への負担率アップは、保険制度を維持するためには必要な措置と思います』
『ただ、今後老齢人口が増えることを考えれば、現在の老人健康医療保険会計の赤字分を国民健康医療保険会計から補填している方法は、改革する必要があります』
『老人健康医療保険会計は、もっと国税をつぎ込み、独立した会計に確立させるべきです』
『また、他の健康保険会計などとを統合し、国税をつぎ込み、そしてさらに診療報酬なども下げることなども含めて検討しないと、保険による医療は維持できないのではないかと思います』
などと話した。
これら両者の言い分は、ある面では正しい。しかし、一面からのみの意見である為、全体を見回しての意見になりえてはいない。
医療、介護制度は、お年よりが増えていく現実を考えれば、一足飛びの良薬はない。
このため、一面でのツケをどこかにしわ寄せしないで、お互いにそのツケを持ち合うような制度改革が必要に迫られている。
利害調整をしながら、ある程度納得のゆく着地点はどこかを探るには、指導者の役割は大きい。
ごう付きじいさんのように、自分のわがままだけを押し通すのは、もっての他であり社会に通用する筈はないのだが、制度の矛盾を告発している叫びと理解したいところだ。
わがままを押し通そうとする現代社会だが、現代社会や様々な制度の矛盾を真正面から述べ合い、そしてお互いが助け合い、支えあう互譲の精神を持った社会をどう作るべきなのか、心の根本哲学を教えながら、制度改革を推し進めてゆく必要がある。
2つの事例を通して、大変な社会が出来上がったものだと、つくづく感じながら、両者との話をかみ締めたところだ。