「田舎がなくなる!!!」
〈更新日: 2002年12月14日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
平成14年度も押し迫ってきた。
今年は、不景気がドット押し寄せてきた1年であった。
来年も悲観的な見方が大勢だ。
不景気風は、札幌市など都会でも強く吹いているが、田舎では台風になりつつある。
同時に市町村合併や農業、漁業など産業界の合併も迫っており、田舎の行政、経済は死活問題を伴う重大な転換期を迎えつつある。
先日、11月中ごろ布教で道東の4町村にあるお寺を回ってきた。
布教の合間を縫って、そこのご住職や檀家の方々と地域の近況について、深刻に話し込んできた。
布教で回るお寺と言えば、大抵は田舎のお寺だ。
だから、どこのお寺でも話題は共通している。
「都会のお寺への不信」、「田舎のお寺のグチとも言える地域の先行き不安や悩み」など、皆同じ問題で悩んでいる。
中でも今日的な大問題は、過疎化現象だ。
何しろ仕事がないものだから皆こぞって都会へ出て行く。
昔も今も同じ現象が起きている。
特に現在政府が進めている行政の構造改革は、過疎化に拍車をかけだした。
市町村合併は、その冴えたる課題だ。
後2年後までに合併を行わなければ、過疎町村は廃止、取り上げになる公算が高い。
聞くところによると合併をしない1万人未満の町村は、窓口業務だけを残して、道や県に移管されるという。
しかし、市町村合併が行わなければ自治が取り上げになると成れば、自分の市町村だけは残したいと考えるは自然だ。だから合併の話し合いは、なかなか進まない。
だが国が強烈に進めている以上、田舎では「どうしようもない」といったあきらめの気持ちが起きだしてきている。
「田舎をどうするのだ」、ビジョンや考えもなしに、ただ財政建て直しだけのために「町村合併をせよ」というのは無策と同じだ。
いわゆる倒産企業が生き残りために、なりふり構わず金策に走る姿と同じで、従業員、家族、地域周辺など支えている者達の明日を考えることがないまま企業倒産が行われることと何ら変わりがない。
逢坂ニセコ町長は「国は、地方にビジョンなしのまま、借金のツケを回しをしている」と怒るのである。同感だ。
国会議員も偉そうなことを言っているが、本当に地方の痛みが分り対策を考えてくれているのかとはなはだ疑問に感じる。
もっと地方へは、明確な政策提供が必要だ。地方選出の国会議員は、陳情受け付けだけではなく、地方に対しどうしたら的確な政策が提供できるか研究するべきだ。
政府にばかり任せないで、地方へどんどん出てゆき地方の住民と直接対話するべきだ。
どうも用もない国会議員が多すぎる。税金の無駄使いと酷評されてもしかたがない。
こんなひどい情況の今日、地方民は「仕事がない。将来が見えない」と称して都会へとドンドン移動しだし始めた。
高度成長期初め頃、若年労働者が「金の卵」と称して集団就職により都会へと大移動が行われたが、今は高齢者の人達が子供の所に人生の最終の居場所を求めて大移動が行われているのだ。
お陰で、私ども田舎のお寺には、日増しにその影響が表れだした。
それは、お寺を支える檀家、信者さん達が田舎から都会へと大移動をして、減少し始めていることを示す。
普通お寺は、多少の違いがあるとしても、お寺を寺院活動や経済的に支える為に約200から300戸の檀家、信者個数が必要とされる。
しかし、現在田舎のお寺では、支える個数が半分に減った。そして残りの半分は、大抵が都会に移り住んでいる。
このことは、田舎の寺院を支える寺院活動や経済活動を支える母体が無くなりつつあることを示している。
お陰で住職は、田舎と都会を毎日のように往復して寺院活動をおこなわなければならない派目になった。
今後、益々この傾向は強まることが予想される。
都会に多少たりと近いお寺では、その影響は緩和されるが、私どものような遠隔地の寺院、炭鉱地帯のような人口激減地帯の寺院には、その影響は甚大だ。
私どものような田舎寺では、檀家、信者の激減は死活問題である。
当寺院では、明年からこの種の対策にのりだす。
今、私が考えている対策は、札幌市に当院の分院を建設することにある。
少なくとも曲がりなりにも百年の歴史を歩み、全国に多くの信者を有し、拠り所にしようとする信者さんが大勢いることを考えれば、簡単にここのお寺を無くすることにはならない。
このよな点を考え近い将来、札幌市に分院建設を含めた何らかの対応策を立てることが近々に迫られている。
「田舎がなくなる」という悲痛な叫びは、行政、産業、雇用などの他に、これまで考えてもいない、お寺という分野にまで深刻な問題を提起しだしたのである。
市町村合併を含む日本の構造改革は、向こう10年を見据えると、地方地域には、とてつもなく大きな変化を引き起こすことが予想される。
しっかりと足元を見詰め、地盤を固める必要の認識に迫られた1年となった。
来年は、その緊急課題を一つ一つ整理発展させるべく年となりそうだ。