「中継ぎ」
〈更新日: 2003年06月25日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
今、プロ野球では、阪神が面白い。
私は、巨人ファンであるが、長年優勝から遠ざかっている阪神に優勝の二文字をプレゼントしても良いかなと最近考えている一人である。
今後の展開は、どうなるのか、目は離せない!
日本のプロ野球のほかに最近は、イチロー、松井、野茂、新庄のいる大リーグが面白い。
マリナーズ、ヤンキースのにわかファンも多いのではないかと思う。
お陰で大リーグの有名選手も結構覚えた。
野球を観戦するにつれ、昔を知る世代の私には、現代のプロ野球の姿が随分変化していると素人ながら感じる。
私が知る野球選手は、巨人では、長島、王、広岡、与那嶺、藤田、宮田、阪神では、並木、田宮、吉田、小山、村山、西鉄では、中西、豊田、稲尾、大下、国鉄の金田、阪急米田、梶本、バルボン、近鉄ミケンズ、鈴木、南海杉浦、野村、スタンカさん達の時代だ。
今から思えば、良き日本、夢多き日本の時代で、プロ野球も当時の大リーグからは程遠いレベルの存在であったように思うが、それなりに夢中にさせ、楽しまさせてくれた時代であったように思う。
私も幼少時から野球に夢中で、少年選手として良く試合に出場したものだ。
私が野球を知ったのは、小学校にあがる前の6歳頃で、現在お寺の向かいに住んでおり、当山の檀家でもある百瀬三郎さんからキャッチボールの仕方を教えてもらったことから始まる。
その当時は、羽幌町でも羽幌炭鉱全盛時代であったため、羽幌炭鉱野球チームがノンプロ球団として全国に名を馳せていた。
現在の東京ドームの前身である後楽園球場にノンプロ球団の全国選手権大会によく出場していたものだ。
思い出すと懐かしく、そして町を誇りにでき、私ども子供時代に、野球というスポーツを通して、本当に大きな夢を与えてくれていた時代であったように思う。
その為、その当時のプロ野球は、それこそあこがれの人気スポーツであった。
当時のプロ球団の選手ポジション、選手の特徴などをしっかりと思い出す。
当時の野球は、先発完投型の投手が主流であった。
だから継投策をとるチーム、監督、選手は、良いチームとは言われなかった。
今は、亡き故小西得郎さんの解説はよくそうだった。
「エェ~、豪腕金田のばやいは、さすがに速いですね」
「しかし、巨人のばやいは、3番の長島、4番の王と続きますから、金田も息が抜けませんな~。ピッチャー泣かせです」
こんな故小西さんの解説には特徴があった。
金田、稲尾、藤田、杉浦、小山、村山、米田、梶本等の投手は皆完投型の代表格だ。
これを打ち砕く長島、王、野村、中西、豊田、並木、田宮さん達がどのように攻略するのかが当時のプロ野球の醍醐味だった。
だから良い選手が集まる巨人や西鉄が強かった。
日本シリーズは、いつも巨人と西鉄の戦いだった。
それから時代が進み、高度経済成長、バブル時代が終わりをつげた後、食の改善、選手の大型化などにより、それまでの野球の進め方から大きく変化していった。
イチロー、松井に代表されるバッターの大型化、技巧化、巧妙化は、先発完投型の投手がめっきり少なくなり、野球戦略を大きく変えている。
変わって中盤の中継ぎ、終盤の抑え投手の存在がクローズアップし、セーブポイントが重要視される時代になった。
大リーグも同じようで、マリナーズの長谷川、佐々木、ヤンキースのリベラなどはその代表と言えそうだ。
そして、中継ぎ、抑えの投手のいないチームは、もはや優勝争いには勝ち残れない。
お陰でブラウン管を通しての野球観戦には興味の枠が広がっている。
こんなプロ野球の変化からも時代背景や変化が読み取れるものだ。
さて、ここで示している「中継ぎ」の言葉からは、私達人間の「生命のつながり」の意味も知ることができる。
私は、お説教をする際、よく「如来様」のことを取り上げる。
「如来様」は、「如過如来様」といって、「生命が過去から流れ、伝わっているがごとく、生命は、未来へ流れ、伝わっていくがごとく」という意味をもつ。
この意味からしても「生命を伝える」には、「伝える人、人間」の介在が必要であることは言うまでもない。
この「伝える人、人間」こそが「中継ぎが上手に出来る人」のことを言うのである。
過去から生命が伝わって来て未来へつないで行く。
こんな当たり前の営みが「人間が生きる」という意味にほかならない。
プロ野球では、「中継ぎ」がうまく働かないと、その試合は、ぶち壊しになり負けにつながる。
私達人間の生きる営みも同様で、中間に生きる人間が、いい加減に生きれば、その結果未来に大きな禍根と負債を残すことになる。
反面、人の鏡、手本、まっとうな生き方を残せば、それは未来に、大きな夢と、可能性、利益をもたらすことになる。
プロ野球の「中継ぎ」から大きな意味を教えてもらっている。