【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「グローバル」と「ローカル」

〈更新日: 2003年12月06日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

 今年も、師走を迎えてしまった。
時の過ぎ方が実に早く感じる年になった。

年寄りの人たちは、皆こぞって時間の過ぎるのが早い、早いという。
どうしてだろうと今まで不思議に思っていたが、なんと言うことはない自分が、そのように感じる年になってしまったのだ。

理屈は、分らぬが、とにかく時間の過ぎるのが早く感じる。

 昔は、師走の声を聞くと、とたんジングルベルの曲が鳴り出し、冬支度の薪割だ、年暮れのお歳暮だ、年賀状だ、正月のおせち料理の準備だと、何かとせかされる時間を過ごしたものだった。

ところが最近は、毎月毎日がせかされている日々であり、毎日が師走の感じをさせられている。

時間感覚が無くなり、季節感がなくなり、都会や田舎の区別すらも薄らいでいる。

時間と距離が短くなったせいか、多種類の事、多くのこと、遠くの事が一挙に、短時間の内にこなせるようになった。

それはパソコンであり、携帯電話、メール普及のせいである。

しかも、ここ数年の間に急拡大したインターネット・グローバル化がもたらした、世紀を覆す出来事によるものだ。

 また、今年は、戦争と国の行財政改革に翻弄された一年だった。

戦争は、直接関係したものではないが、テレビやインターネットを通して瞬時に、お茶の間のゲーム感覚のうちに知らされた。

アフガニスタンだ、イラクだ、北朝鮮だと、遠い世界のことなのに、まるで隣近所で起きた事件のような感覚でさえあった。

そして、テロ、自衛隊派遣、ガソリン値上げと国際化、グローバル化の影響が日増しに私達の日常生活に達している。

また、インターネット、携帯電話、メール通信は、日本もアメリカもヨーロッパも中国、中東もない。
全てが同じエリアで、同じ時間で、同じ空間の中で瞬時に行われる。

このため、末端の私どものローカル、地方、田舎では、その影響が甚大で、通信を中心とした生活様式は、グローバル基準に無理やり変えられ、ノンビリとした生活リズムも地に足がつかない毎日になっている。

特に高齢化比率の高い田舎では、年寄り達がアタフタする毎日だ。

これは、グローバル化がもたらしている歪なのだが、現在、この歪は、世界的に問題がクローズアップしてきた。

それは、アメリカの一国主義であり、マイクロソフトの強制的な統一国際基準に原因がある。

実は、このことはローカル、地方、田舎にとてつもなく大きな歪を生み、地域の崩壊にまで結び継こうとしている問題にまで波及していることだ。

この問題は、現在世界中に蔓延し出したようで、グローバル化の反対暴動になり、ハッカーによるコンピューターウイルス、サイバーテロにつながり、世界各地での戦争の原因の一つにまでなっている。

確かに「世界は、一つ」、「地球は、一つ」の言葉は、素晴らしい響きがある。
しかし、「一つ」という裏に、大変大きな問題が潜んでいたことに、最近、世界は、ようやく気付きはじめた。

その問題の原点は、全てがアメリカ基準の「一つ」に統一されようとしていることだ。

 自由な行き交い、文化や言葉が同じであることは、便利だし、何かと都合が良い。
しかし、反面個性がなくなり、特色がなくなり、独自性、特性がなくなる。

さらには地域がなくなり、田舎がなくなることの危機を今や世界が知りだした。

所謂、ローカル色が消えてなくなってしまうことの危機感だ。

 今日のグローバル化が目指す方向は、画一化したロボットがいかにも一つの指令で動かされ、皆同じ顔をして、同じ方向に向かされようとする世界の統治に他ならない。
非常に危険なことだ。

 グローバル化の代表は、インターネットだが、このインターネットにより、こんな田舎でもニューヨークやパリの衣類、食べ物などは簡単に手に入る。

居ながらにして世界のどの国とも連絡がとれ、取引ができる。

時間も、季節も関係がなくなった。
旬の食べ物は、日本のように季節がハッキリしているからこそ美味しい。
でも、現在は、旬はない。

「あの田舎に行けば、あの美味しいもの、あのしみじみとした人情が味わえられる」
こんなローカルを生かした情緒は、最早なくなった。

というより無くさせられたといったほうが早いかもしれない。

ローカルが全く必要なくなったことを意味している。

今、このことで私ども田舎では、グローバル化と国の行政改革の効果で、「田舎がなくなる」といった悲痛な言葉を、日に日に身にしみて感じている。

これまでは、「地方からの声」、「田舎からの発想」を叫んでいれば、人間のJカーブ、Lカーブが期待できて、田舎は再生されるものと考えていた。

そして「ローカルからの基準」を示す事が出来れば、田舎は残れるものと考えていた。

しかし、今日の激しいグローバル化、国の行政改革がもたらしたものは、ローカルは、切り捨てられる存在価値に成り下がってしまったということだ。

別の言い方をすれば、地方の行政は、最早無用になったというこのように見える。

「民間にできることは、民間に」、「地方にできることは、地方に」の首相の掛け声は確かに素晴らしい。

しかし、これまで国は、地方に押し付けるだけ押し付け、地方に、多額の行政借金を残したまま、地方の財源である補助金、交付税を減額して自主財源に切り替えさせようとしている。

自主財源のない田舎は、どうなるのか。

少なくともこれまで積み重ねられた地方の行政借金をどのように解消する道があるのか、そこも示さないまま自主財源へと切り替えるというのは、あまりにも身勝手すぎる。

国は、地方の借金は、地方が作ったもの。国には、責任はないという。(総務省)

しかし、景気対策だ、均衡ある国土の発展と称して数多くの無駄政治、行政を繰り返してきた。

国の命令だ、国に随わなければ地方にお金が回らないといった数々の矛盾政治の押し付けにより、地方に借金を作らせ、多大に残させる結果を生んでいる。

既に地方は、破綻状態を迎えいてる今、補助金、交付税の削減、自主財源への強制的措置は、もはや地方、田舎、ローカルが生き残ることの出来ない最後通告みたいなものだ。

三位一体と称して今後もさらなる追い詰めをするのだろうが、これでは弱者たる地方、田舎、ローカルは息の根をとめられてしまう。

生産基地として何とか生き残りを計ろうと懸命の努力をしてきているのに、生産基地は、中国など労働力の安い外国にどんどん移転している。

「産業の空洞化現象」だ。

こんな根本の政治課題をそっちのけにして、財源だけを切り詰めるというやり方は、間違っている。

これでは、東京、大阪を始めとする大都市だけが生き残れる歪な国が出来上がってしまう。

本来、消費地の都会に不足する生産、安息地としての地方との調和、共存を目指すべきものなのに、今は、都会だけが生き残るための政治となっているのは実に嘆かわしい。

この部分の主張は、政治家の一部、学者、評論家の一部からようやく声が大きくなってきた。

前述したようにインターネット・グローバル化は、ますます顕著になっきている今、ローカルはどうなるのか。

ローカルは、どうやれば生き残れるのか。

問題、課題ばかり目の前にクローズアップしているが、一向に解決方法の議論が深まらない。

特に「産業の空洞化現象」は、日本国にとって最大の課題である。

どうすればこれらを克服できるのか、あわせてローカルをどのように位置付けしようとしているのか。

全く先が見えない。

「ナノテク」が切り札ともてはやされているが、これらの技術をどうやって生かすのか。

拡大するインターネットを中心としたグローバル技術の中にローカルの存在は、どうあるべきなのか。

国も地方も真剣に議論し、急いで方向を探らなければ、私達の地「ローカル」は、早い段階で消滅をみることになる。

平成16年度は、そんな大きな課題を突きつけられた、難しい課題を真剣に議論する年を迎えることになりそうだ。

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