「三悪道(世界)」
〈更新日: 2005年07月18日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
「三悪道(世界)」という言葉は、阿弥陀経など浄土三部経の中に出てくる言葉で、地獄道、畜生道、餓餽道という3つの悪い世界を示して言います。
浄土三部経の中で浄土とは、「このような3つの悪い道(世界)のない所」、「そのような言葉すらも出てこない所」と言い表しております。
さて、「三悪道」とは何なのか少し解説して見たいと思います。
1. 「地獄道(世界)」
インターネット、コンビニに代表される今日の現代社会は、迅速、便利、共通化を歌い文句に出来上がっている超簡便型社会です。しかし、超簡便型の背景にある共通思想は、「個人それぞれの都合に合わせたインスタント社会」と言う事ができます。
自分の都合、好みに合わせた必要なものだけを手に入れ、しかも手に入れる物は、全て出来合いの物で、個人が創造して物を作る必要の無い物ばかりです。
お陰で、若い人達を中心に調理して食事を作る事すら出来なくなりました。
食事もそうなのですから、子育ても、教育も、一人の人間を育て、作り上げる考えも薄れてしまいました。
まして地域や自治、社会を構成し作り上げる考えすらなくなってしまい、その結果、無責任、無関心、無感動など20無主義がはびこる社会になってしまいました。
さらに、親が我が子の命さえも平然と奪う、また子供が平然と親を殺し、社会的弱者すらも平然と何のためらいもなく殺しあっている現代の日本社会です。
この事実は、戦争が行われている国々と同じくらいの悲惨な出来事が毎日、平和な日本の国で起きています。
今では、テレビで事件を見ることすらもイヤな思いをします。
どうにもこうにもルールや秩序、規律、道徳が失われた最早収拾がつかなくなった、あえぎ、嘆き悲しむべき時代を迎えてしまったと言えます。
こんな手の施しようのない世界こそ地獄道(世界)と言います。まさに、今日の私たちの周囲全ての世界が地獄と言えます。
2.「畜生道(世界)」
そして言われるがままに流されて行き。流行に乗っていないと自分を見失っている人間達の姿を見ます。所謂、畜生道の世界です。
畜生道とは、まさに家畜と同じく「飼われて、ご主人様の言いなりになり、あげく果て必要がなくなったら放り出される存在」から言われています。
ですから、主体性がなく自分の意見を持っていない人間社会そのものが畜生道です。
特に今日、信仰や宗教に関しての無知、無関心その傾向が強く見られ、一般的に社会的地位の高いと思われている人に見られます。
現代は、宗教に対して大変無知で無防備であることが分かります。
そして、このことが「自分が気付かないまま他人の心を踏みにじり、傷つけている心の犯罪を犯している社会」、「優しさすらも失った社会」につながっています。
所謂、畜生道による心の犯罪を生んでいる現代社会でもあります。
また、恥じらいをなくした世界ともいいます。
最近、若い子達が電車でもどこでも人前で平気に地べたに座っている様子を見ます。
こんな様子を見ますと「奥ゆかしさ」がなくなっている現実を見ます。
こんな、恥じらいのない心の表れの社会も畜生道と言います。
3.「餓餽道(世界)」
そして、食べても食べても満足できず、持っても持っても満足できない満腹感を忘れた「お化け」に変身した世界、これを餓餽道といいます。
戦後日本は、追いつけ追い越せ主義の一点張りで物欲のみを満たしてきました。
お陰で物質的な豊かさは、世界に君臨することになったのは事実です。
最高級品ブランド品を身に付け、最高級の乗用車を乗り回しております。
家では、豪華な食事にありつけ、高級食材でないと満足しません。最近のテレビ番組は、豪華な食事についての料理番組ばかりです。
しかし、こんなに豊かになり、何も不自由がなくなっている筈なのに何か満たされません。
どんなに満たしても満たしても「心が満ち足りない世界」、これを餓餽道と言います。
お盆の行事は、餓餽道を見直すための行事です。それは、私たち人間が生きるために命を捧げてくれた動物、植物、魚など全ての生き物の命に感謝するための行事と言えます。
その為、施餓餽といって私どもに捧げてくれたいろんな命に対して供養をし、私どもが捧げてくれた命に対して水や切子といった食べ物を供えて感謝をするお参りを行うのがお盆の行事に勤めるお経です。
西欧では、謝肉祭といって命を捧げてくれた家畜に対して感謝をする行事がありますが、これも同じことです。
これら現代の世の中に充満する「3つの心の貧しさ」を示す言葉が三悪道という言葉です。
こんな言葉が当たり前にカッポするような現代社会は決して良い人間社会ではありません。
そんな「心の貧しさが消えてなくなった世界即ち浄土」は、仏様を信じ、仏様の教えに沿った行いのできる人間達が集まってこそ出来上がります。
何も浄土は、遠くにある憧れの世界ではありません。
今のこの世の中で浄土に向かおうとする心のある人達が集まればすぐそこに出来上がる世界です。
物質的に豊かさを謳歌する中で、何となく暗さや心寂しさを感じるこの世に、自ら仏様を信じられる心、こころの中に小さな灯火をともすことが浄土へ向かう心構えが出来ている事を示しています。
そして、未来に夢を持ち、ロマンを持つことがなによりの薬になります。
今年のお盆の行事を通し、亡きご先祖を思い、ご先祖からいただいている我が命を通して報恩感謝の念を起こす事こそ大事なことです。
そして、その行いから真の仏様の御心に触れる今こそ浄土を知る大きな切っ掛けになります。
自分の心を再度、ゆっくりと見つめなおし、見つめなおした者同士が集い、一緒に浄土へ向かいたいものです。