「60歳のラブレター」
〈更新日: 2007年12月07日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
平成19年9月に「60歳のラブレター」の本がNHK出版社から出版された。
この本は、歳をとって最早定年を迎え悠々自適になったご主人と長年連れ添って生きてきた奥さん、そして空気みたいな間柄になっている夫婦の間に生ずる心のやり取りを収録した本である。
「長年の思い」、「長年の苦労」を互いに感じつつ、伴侶への愛の気持ちを小文に綴られている。
この中に当山の檀家さんで私の親友でもある俳人の小野義則さん(71歳)が、昨年亡くなった奥さん(富子さん)に宛てたラブレターが載っている。
文章を紹介する。
『愛するトミちゃんへ、と昭和38年ミニレターでの初の恋文でした。そのトミちゃんも昨年11月ガンで死去しました。夫婦喧嘩を始めると、小学校に通い始めた二男が、にわかにもろはだを脱ぎ、この手紙が目に入らんかと「愛するトミちゃんとの手紙」を二人の前につきつけ、喧嘩もいつしか終わっていました。70男が時折その手紙をながめ目尻を下げ、当時を偲ぶこの頃です。
手紙は、いまも小さな金庫に納まっています。愛しているよ、トミちゃん』
さらっとした文章の中にホットする優しさ、照れくささの中に亡きおくさんへの深い愛情がありのままに綴られている。
この文章を11月、紋別市を中心とする北海道東部地区の巡回布教に持って回り皆さんに読んで聞かせた。
そうすると、聞き入ってくれていた大勢の皆さんが目を潤ませ、あたかも自分のことのようにうなづく姿を目にすることができた。
そして、お話の終わりには、それこそ割れんばかりの万来の拍手をいただいた。
この時私は、人の心の優しさ、いとおしさを紹介できたことに嬉しさを感じた。
また、同時に感じたことは、それだけ現代が、殺伐で、優しさや人を思う心を失った、不安に駆られた闇の心が偏在する世界であることも思い知らされた。
自分だけの儲け、自分だけの虚栄、自分だけの欲ばかり、俗欲を自分の思いのままにするために、肉親であろうが、自分の子供であろえが容赦なく殺し、イジメ、盗み、詐欺を働く。
社会は、俗欲に狂粋した鬼や化け物たちが、我が物顔で闊歩する地獄そのものが現代社会。
その典型例は、苫小牧ミート社の田中社長であろう。
豚、鴨、何の肉でも、はたまた紙まで混ぜ込んで詐欺商品を作り、売りつけ、儲けた金で自宅、別荘、金品を手にし、虚栄をほしいままにしていた。
いくら食っても満腹感が分からずに腹を減らす餓鬼、恥知らずとも分からず何でもありを平然と行なうことが出来る畜生。
何とでも表現できる「貧しい心」の持ち主そのものだ。
ほかにもこの世の中には、あきれるほどの言葉では言い現れないほどのへどを吐きそうなくらいの凄惨な事件ばかりが起きている。
そんな中、最近のベストセラーは、ドストエフスキーの代表作である「カラマーゾフの兄弟」であったり、藤沢周平の「蝉しぐれ」を代表とする江戸風情物語、加島祥造の「もとめない」という詩集であったりする。
これら作品に共通する題材は、「貧しい心」と言える。
この「貧しい心」こそ、この現代の世の「人の心のありよう」であろう。
そして、どの時代にでも共通して起こりうる「貧しい心」に、どうすればごく自然な人間、ごく普通の人間社会が出来るのかを、それぞれの時代を背景にして、「人間を問いかけ」て作品を描いている。
人間を問いかけた作者達は、「貧しい心」に行き先と暗示を示し、人の心の優しさ、慈悲深さのありようを作品の中に示す。
そしてベストセラーが意味するところは、多くの聴衆が現代社会を反面教師に見立てて、作者が作品に描く指針、意図を受け入れている現実を見る。
それは、一昔前、日常生活の中にあたり前に流れていた「お互いを思いやる心」、「ガキ大将が弱い子を身をもって守ろうとする心」、「お隣同志が、漬物やお菓子を持ち寄り、食べあって団らんする縁側の心」の大切さを社会の中に求める姿の表れと感ずる。
「ご先祖を敬い」、「自分も他人も同じ人間の血が流れている生命を敬う」、そして「共存する地域、地球を敬う」ごくごく当たり前の「仏様の心」を自分の心の中に持ち合わせることに他ならない。
言い換えれば「仏様に手を合わせましょう」、「自分を大切にし、他人をいつくしみましょう」である。
毎日、人として実に簡単なことを行なえばよいはずなんだが・・・