「鎮守村の崩壊」
〈更新日: 2008年07月11日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
羽幌町の伝統行事である夏祭りが終わり、次は8月に仏教の宗教行事である「お盆」を迎える。
しかし、今年の夏祭りは、羽幌神社のみこし渡御(とぎょ)がなされなかった。
それは、北海道道北地方夏祭り最大の呼び物となっている「喧嘩みこし」の中止であった。
今年の初め頃から祭典関係者が何度も話し合ったようだが、とうとう感情的なもつれまでに発展してみこし渡御の中止が余儀なくされたようだ。
何故こうなったのか検証してみた。
まず、「みこし渡御」は、神社主催の宗教行事である神事であることを認めなければならない。
ここに歴史ある町祭りに「みこしを護る会」が発足して、神社の宗教行事のお手伝いとともに町祭りの盛り上げと町の賑わい作りに一役買っていた。
祭りでは、当町に石川県から伝来する加賀獅子舞と町の中央大通りの真ん中で練りあい、ぶつかり合いを行い「喧嘩みこし」として名を馳せ、祭りを盛り上げてくれていた。
ところが神事であるべき「みこし」を町祭りの盛り上げとして扱っていたものが、度を越した「マナーの悪さ」、「見物人とのトラブル」に発展して神事そっちのけになってしまったのである。
当然、「みこし」を管理する神社側から注文の出るのは当たり前で「担ぎ手の自粛した渡御」が要請された。このことが感情的なもつれまでに発展したようだ。
しかし、「みこし」は、やはり神事であり、そこを離れての祭りには意味は持たない。
また、全国的に見てみると「みこし」や「山車」は、町内会や民間団体で所持し、管理しているところが多い。
ここのところを考えると、神社の「みこし」とは別に自前で「町の賑わいのみこし」を準備して、自前で管理して祭りに望むのが一番の解決策ではなかったかと思うが、今となってはどうにもならない。
原点に立ち返って考えるべきではなかったかと大変残念に思う。
最近は、「祭り」も「お盆」の行事も含め宗教行事そのものが形骸化してしまい、宗教行事の意味も知らないまま行事を行っているケースが多い。
昔は、「村の鎮守様」といって、村人が総出で村の鎮守様を祭り、護ったものだ。
それは、村の土地を護り、村人共に生き、さらには農作物や農耕、漁業の宝を生む鎮守様を祭り、護ったのだ。
そして、そこで行なわれる村祭りは、私達の生命をつなぐために死んでくれた動物、植物、魚の生命に「感謝の誠をささげる神聖な儀式」であった。
現代のヨーロッパでも毎日の食卓にのぼる牛や羊の「肉」に感謝して行なう「謝肉祭」もまさにそうである。
仏教行事の「お盆」もそうで「施餓鬼」といって、私達の生命をつなぐために死んでいってくれた「多くの動物、植物の生命、たましい」に対して「食べ物を供えて供養し、感謝する行事」である。
ところが今日では、そんな本来あるべき意義をそっちのけにして、「祭りを盛り上げる」の言葉の裏側に見え隠れするものは、「祭りが盛り上がれば、町の経済が潤う」この一点でしかない。
「生命の尊さ」を語らずして「町の経済的な潤い」のみを論じようとするのは、最早この世の終わりだ。
今日、神社や寺院では、
「こんな大変な世の中で、祭りや宗教行事に寄付や喜捨金を出す余裕などない」、
「祭りや宗教行事は、そこの宗教関係者のみでやればいいんだ」、
「俺達は、祭りや宗教行事をやってもらって、ただその恩恵さえ得られればいいんだ」とこんな風な社会風潮がまかり通っている。
俗に言う宗教離れの精神といったところであろう。
どんな風に考えて日常生活を送ろうと、それは各々自由なことである。
しかし、神様を思う心、仏様を思う心所謂「信ずる心」失った社会は、同時に「社会に人間の生命軽視を生み」、「人間が孤立化した社会を生んでいる」ことを知るべきである。
合理主義の名の下に人間の生命や人の心までもが、合理主義の考え方に埋没させて「お金と称する経済性」にすり替えて考えようとする現代の社会風潮は、まさに現代の人間社会が崩壊寸前の危険水域にまで達していることを示している。
もっと自然の中に身と心をおき、そこの土地に座っておられる鎮守様を護り、さらには自分達人間の生命を護り、救ってくれている神様、仏様を護ってくれている神社や寺院を大切に扱い、護ってゆく必要がある。
「鎮守様を護る心」なくして、これからの日本社会の存続などありえない。
未来につなぐ子供達に「生命の尊さ」は、どうしても受け継いでもらわなくてはならないが、現代人が今、見失っている「鎮守様を護る心」を取り戻さなければ、「社会に生きる人の心の中に、暖かさを示すエネルギー」は生まれてこない。
今一度、立ち止まって未来へつなぐべき「心」を考えてみる必要がある。