「虚往実帰」(きょおうじっき)
〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
この言葉をひらたく言うと「むなしく往きて満ちて帰る」という意味になる。この意味を解説すると、
延暦23年(804)弘法大師空海が入唐し、青竜寺の門をたたいて密教の教えの全てを恵果(けいか)和尚から受け継いだ。しかし、恵果(けいか)和尚は、密教を伝える確固たる僧を探し当て、伝え終わった後自分の役目を全て果たしたかのようにその年の12月に亡くなる。
弘法大師空海は、自分のおかれた幸運と不可思議さの両方を感じ取り「弟子空海、桑梓(そうし)を顧みれば東海の東、行李(こうり)を想えば難の中の難なり。波涛万万たり。雲山幾千ぞ。来ること我が力にあらず。我を招くに鈎をもってし。我を引くに索をもってす。」と述べている。
「遠く日本海をはさんで東にある島国から入唐するとき、台風にあい難破した出来事、福州赤岸鎮から唐までの苦労した旅路、はるばる遠くまでやって来たが、これも何か不思議な力で引っ張られて招かれたような気がする。」
空海が恵果に出会い密教が自分に伝えられた喜びと、恵果に出会った不可思議さを表現している。この時、異国に渡り何を得られるか分からない不安な自分に対し、不可思議な出来事から自分が求めていた以上のものが得られた喜びと心の充実がこの言葉「虚往実帰」の中に込められている。
21世紀の新世紀を始まるに当たり、今日の私どもを取り巻く現実は、殺伐と混沌の毎日ばかりといえる。そして、そこから感ずるものには、未来に対するなんとはない不安ばかりが心の中によぎる。さらに心の不安は、精神的な不安定さを導き出してしまう。
しかし、そんな中常に求める心と努力する心があれば独りでに導いてくれる何かがあることをこの言葉で示している。
大師の言葉を信じ21世紀の明日の夢とロマンに向かって出発したいものだ。