【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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「お説教」 ブータン王国“国民総幸福(GNH)”の国家基本理念から

〈更新日: 2011年11月21日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

昨年11月ブータン王国の若き国王夫妻ワンチク国王とペマ王妃が来日された。
ブータン王国は、密教の国(日本で言えば、真言宗を国教とした国)である。
言うなれば私ども真言宗の宗教理念である密厳国土(人間、全ての生物いわゆる自然が互いに繋がり有って調和の取れているマンダラ世界)の概念を下に国家が形成されている国である。
そのブータン王国の国家理念「国民総幸福(GNH)」についてワンチク国王から日本の国会において演説がなされた。
国王は『経済や技術進歩の著しい今日、人々の間の絆が切れ人間がお互いに孤立している。そんな中人間として生きる為の「真の幸福」とは何なのか』、「進歩、発展と称して環境破壊が進む今日、持続可能な環境とは何なのか」と厳しく問うていた。
ブータン王国は、日本国と違って物質的には決して豊かな国とは言えずむしろ貧乏な国の中に入る。
しかし、そんな経済環境にあっても「ブータン国民は、幸せである」と言うのである。
反面、物質に恵まれ、何でも簡単に手に入り、お金も不自由しない日本の国は、どういう訳か病んでいる国だ。
自分ばかりが良くて他人はどうでも良い。他人の存在は煩わしく抹殺したがっている。
何かに怯え、何かに怒り、何かを軽蔑する姿が見える。そしてどことなく「心の暗い人間達」が蔓延している日本社会だ。その帰結に自殺者が3万人を越え、15人に1人は「うつ病患者」を有する国と言われてしまっている。
日本国とブータン王国とは、国の大きさも、経済力も、国民総生産額(GNP)も比較にならない。
それ程豊かな日本国であるのに何故、報道各社や論説員の方々がブータン王国の良さばかりを取り上げたのか。
そこには、人間の豊かさ、真の幸福度というものは、何も物質量の豊かさ、多さで決まるものではないことが分かっているからである。「真の幸福」とは、「心の中がスッキリ、さわやか、明るい」ことから来る心理的な充実感だからである。さらに「自分のみならず他人をいたわり、助け合う、手を差し伸べる」といった人と人との間に垣根のないコミュニケーション関係が取れることから生まれる「安心」を味わうことの出来る心理的な充足感でもある。

先日夜、神奈川県からいきなり電話があった。電話口では、38歳の女性が暗い声で泣いていた。
「どうしたの」と尋ねたら、「過去や現在のトラウマに囚われ幻聴、幻覚にさいなまれてどうしようもない。何とか私を助けて欲しい」と必死にもがいている相談者がいた。数回に分け約2時間事情を伺いトラウマを聞き、対処を指摘してあげた。そして、ただ一言「私の前で良かったら、泣きたいだけ泣いてください」と伝えたら「そんな風に言ってくれた人は始めてです」と彼女は答えていた。それから少し経過した後「泣いている自分だと思っていたのに、今、自分の顔を鏡で見たら笑っている自分を発見した」と言って喜び、自分を取り戻し、心の中に充足感を見つけた女性の事例を経験した。その女性は、貧乏ながらもそれなりに仕事をし、家族を持って何とか普通に生活している。それが一寸としたトラウマが彼女自身の心と身体をコントロールさせてしまう何かがあったのだ。
こんな、一つの出来事を見ても「幸せ」や「安心」とは、物に恵まれている状態から必ずしも生まれるものではないことが良く分かる。そしてこのような事例は、特別なものではなく誰でも起こりうる出来事なのだ。

ある大企業の御曹司が100億円も浪費をして会社から刑事告訴される事件があった。東大卒のエリートであるにも関わらずお金に左右された御曹司の心の中は「ギャンブル依存症」という「囚われ神経症」ともいえる病に本人も家族も気付かないまま重症化し事件を引き起した事例と見えた。多分、いずれは社会から隔離された施設の中で自分と向き合うことで静かで幸せな人間味を取り戻せるのではないかと願っている。これも「お金のあり過ぎが御曹司にギャンブル依存症を引き起し、病んでしまった心により引き起こされた事件」であったこと理解している。
これら一連の事例を見ても「真の幸福」とは、物質やお金だけで成り立っていないことが良く分かる。
ブータン王国のようにたとえ物質的、経済的に恵まれていない国であるとしたとしても「私達は、幸福なのです!!」と自賛できる国は、国を統治する国王も幸福を享受する国民も尊敬されるし、立派であると言える。
ブータン王国の「国民総幸福」の概念は、弘法大師が請来した大日経という仏典に記されている密教の宗教理念を下に、国民の心の中に生じる心理的充実感、充足感を「幸福量」として定量化して国家の基本指標と据えたものだ。
その全ての概念が日本に当てはまるとは言えないまでも日本も仏教国であるならば、今一度国のあり方、住する人々の生き方の基本理念、アイデンティティーを見詰め直して再度、指針を作り上げる必要があるように感ずる所だ。

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