「祈りの国ブータンへ」
〈更新日: 2013年5月13日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
~“祈りの国ブータンへの参拝旅行紀行記” 住職 高山 誓英の記録~
10月1日から8日までブータン国に参拝旅行に出かけた。
北海道から苫前町田井さん、留萌市日向寺さん、秋田県横手市からスピリチュアル・ケア・ワーカー佐藤弘子さんが私の一団として参加した。他に東京都、埼玉県、静岡県、福岡県からの方々を合わせ11名が参加した。
旅行出発日は、奇しくも台風17号が東京を襲った。
その為、北海道から参加した私達3人は、急きょ予定を変更して東京で休憩せずに直接バンコクへと向った。そしてそこで他の方々と合流した。
途中成田空港では、国内線と国際路の搭乗口が大きく離れていることから、初めて成田空港を利用する私達にとっては不安があった。
しかし、ベルテンポ・トラベル高萩社長が、私が足腰の悪い要介護人として空港会社に連絡しておいてくれたことが、私達にとっては大助かりになった。
空港係員が私を車いすに乗せて空港内を特別に誘導してくれたのだ。
その為、短い乗り継ぎ時間を有効に使えたのと、気の遠くなりそうな広いバンコク・スワンナプ―ム空港内をスムーズに移動出来たことである。熟知された高萩社長の配慮を伺い知ることができた。
翌日2日、午前4時バンコクのホテル出発。8時、ブータン・ドゥク航空でスワンナプ―ム空港を離陸、バングラディシュ・ダッカ経由にてブータン・パロ空港へ向かった。
ヒマラヤ山岳の谷間をくねくね曲がっての飛行は、「エェェー」という驚き声の連発だった。
佐藤弘子さんが「あぁー、いよいよブータンだ!!」と機内で感激の声をあげた。
雲の上から見る四角いブータン独特の建物は、何かお伽の国の城のように見えた。
午前11時、ブータン・パロ空港に到着。
飛行機から降りる人は日本人が多い。しかし意外にも西欧人が多いのにも目に付く。
「ブータンに来る人は、アメリカ人が年間4千人程で一番多かったが、今年は日本人が6千人を超えて一番多く成りそうだ」と通訳のドルジさんが説明してくれた。
これは昨年、ワンチク国王夫妻が日本に来られてからのようで「国王は、ブータンと日本との懸け橋になってくれた」と喜んでいた。
パロ空港到着後すぐ首都ティンプー(人口約7万人)に向かった。
日本のように目的地には30分程で着くのだろうと高をくくっていたら、険しい峠を越えて何と2時間30分の道のりであった。
途中、ドルジさんから上手な日本語で自己紹介に加えブータンについて紹介があった。
「ブータンの人口は、70万人」
「17世紀チベットからチベット密教の高僧がやって来て、ブータン各地にゾン(宗教と行政の施設が一緒になっている城)を築いてチベット密教を通して国を統一したのが始まりです。
ワンチク王族は、20世紀に入ってから英国との協力体制の下でブータンを統一してから王位を守っています」
ティンプーに到着したのは午後1時30分だった。しかし、私の時計では日本時間午後4時30分。
ブータンでは昼なのだが、日本時間を知っている私の身体は夕方だった。
さらにノ~ンビリした街中の動きは、何か身体が付いて行っていない。
札幌、東京、バンコクに見られる車、情報、通信社会の人や物の早い動きはどこにも見当たらない。
身体にカルチャーショックが走っていた。