「ティンプー英字新聞」
〈更新日: 2013年5月13日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
~“祈りの国ブータンへの参拝旅行紀行記” 住職 高山 誓英の記録~
3日は、ティンプーの隣町で古い都ブナハに建造されている由緒あるゾンを見学する。
朝7時半ロビーに集合したら、ドルジさんがティンプー英字新聞を読んでいた。
英語は良く分からないが見せてもらった。
「Village Peoples Killed Predator」の一面記事の見出し。
意味が良く分からない。
「村人が、侵略者を殺した」とは何の意味だろう。
ドルジさんに意味を尋ねた。
「東ブータンの村人が、家畜や人間を襲う雪ヒョウをやっつけたんだ」という答えだった。
一瞬、何の意味か理解できなかった。
「あっ、ここでは、日本で扱う新聞の一面記事とは違うんだ」と理解した。
再びカルチャーショックである。
翌日の新聞一面に「Yesterday Village Peoples Killed Predator Was Black Jaguar」と記事が載っていた。
「村人が殺したプレデタ―は、黒ひょうだった」と言うことのようである。
私は、その翌日の記事をニヤニヤして見ていた気がする。
それは、ブータンの新聞の一面記事として取り扱う話題は、日本のような先進国で扱う内容とかなりかけ離れていることを知ったことにある。
その時「何故、今、私はブータンに来ているのか」という問いに一つの答えを出した思いがあった。
旅行最終日の夜、ブータン・マンダラリゾート社ドミンク社長とルックエァー航空会社幹部社員ドッケ氏と私達との間でブータンについての懇談会を行った。
その時、東京都から参加されていたご夫婦が言われた言葉には、
「日本という国は、余りにも物事が進み過ぎてしまった」
「その為、私達の心は、疲れ果てており、どこか心静かに癒す所を探している。ブータンには、その答えがあるのではないかと思って参加した」
「この素晴らしい自然や景観を未来永遠に残しておいて欲しい」と述べていた。
その話を聞いた時の私は、ティンプー英字新聞の一面記事を見た時と同じ感じを得たのを覚えている。
日本の新聞は、やれ政治だ、経済だと数字と専門用語の記事ばかりを新聞一面に羅列する。
しかし一方、そこに示される言葉や数字によって、私達は、緊張を強いられ、疲れ果てさせられ、不安心理を抱かせられていることを知る。ティンプー英字新聞には、そんなものは全くない。
「あぁー、幸せの国のことなのか!!」と一瞬、フッと感じた。
ただ、ドルジさんから「ブータンは、日本のようになりたい。僕は、日本に行きたい」の言葉を聞かされた時、「私達日本人は、自分の思いだけを言って、ブータンの国の人の心の上に立っていないこと」も知った。
「先進国のわがままを相手に押し付けてはならないな」とこの時、恥じる自分もいたのである。