「ティンプーからプナハへ」
〈更新日: 2013年5月13日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
~“祈りの国ブータンへの参拝旅行紀行記” 住職 高山 誓英の記録~
午前8時プナハに向けて出発。プナハまで3時間ほど掛ると言う。
ティンプーを出て約45分、県境の検問所に着いた。
ここはティンプー県からブナハ県に入る為の検問所であり許可が必要とのことである。
「何故、許可が必要なのか」とドルジさんに問いただした。
「チベット動乱時、チベットからブータンに大量の難民が流れ込んだ。その難民を監視する為に設けたものだ」
「2008年チベット・ラサで若者が蜂起した。それは、チベットの中国共産党政府からの独立運動であった」
「チベット動乱時には大量のチベット難民を受け入れたが、その時に中国からブータンに軍事圧力が掛かった。その為今は、東ブータンの国境を閉鎖して難民は、受け入れていない」とドルジさんから説明があった。
「ブータンは小国です。中国をとても恐れています」
「その為、今は、インドとの繋がりを濃くしており、インドからの往来が多いです」との話を聞かされた。
確かにブータンは、周辺が中国、インド、ネパール、バングラディシュと四面楚歌の小さな山国だ。
「2003年にネパールから共産ゲリラが南ブータンに侵入し、ブータン軍と衝突し撃退した」とも言っていた。
結構、複雑な政治と外交環境に囲まれている国であるようだ。
検問所を過ぎると山道を登って20分ほどで標高3,150メートルのドチュラ峠に差し掛かった。
ドチュラ峠からは、遠くのヒマラヤの山々や緑一杯の山々を見渡すことができた。
そこには、最近建てられたという仏塔もあり公園にもなっている。
峠越えの車が一服するには絶好の場所だ。この日も中国人や西欧人を乗せたマイクロバスが数台止まっていた。
峠の頂上にはカフェがあり土産品や仏具、密教絵画などが売られていた。
私は、ここで密教者が普段、日常の勤めに使う仏具である金メッキの五鈷(ごこ)を購入した。
少し休んでから今度は、1時間半ほどの山下り。
峠は、さすがに寒さを感じたが山を降りるに従いだんだんと暑くなってきた。それもその筈、ブナハは、標高1,350メートルと標高2,400メートル程のティンプーなどに比べてかなり低い所に位置している。ここは、バナナも育ち、サボテンも育つ土地柄のようだ。
ブータンでは、夏は、虫の少ない高地に住み、冬は、ブナハのような暖かい低地に住むのだという。
峠を降りて来ると、川を挟んでもうすぐ刈り入れを迎かえようとする棚田が盆地一杯に広がっていた。
ポ(男)・チェ(川)とモ(母)・チェ(川)という2つの川がここで合流して流れている。
実に美しい。
プナハ・ゾンは、この二つの川の合流地点に立っている。
1637年、シャプトウンというチベットの高僧によって建てられた石造りの建物だ。