「古都プナハのゾン」
〈更新日: 2013年5月13日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
~“祈りの国ブータンへの参拝旅行紀行記” 住職 高山 誓英の記録~
プナハの父川と母川が合流する場所は、密教の「真理は、不二(一つ)」という宗教的な教えに合致する所と捉えられている。だからプナハ・ゾンは、神聖な場所として捉えられているのである。
その為、このゾンは、国王の戴冠式を行う所でありワンチク国王ご夫妻が結婚式を挙げた場所でもある。
母川に掛かるつり橋を通りゾンの入り口まで来ると、45度程の険しい石段が待っていた。
息を切らしてやっとの思いで石段を登ったら、そこに4人の門番が城を守っていた。
ドルジさんが、入口前壁の壁画について説明してくれた。壁画には、四天王の絵が描かれている。
毘沙門天(幸せ、お金を呼ぶ天部の仏様)、持国天(楽器や歌舞を上手にする天部の仏様)、増長天(武器、戦いに勝つ為の天部の仏様)、広目天(病気や災いをなくす息災の天部の仏様)の4つの絵。
日本では、仏法を守護する仏様として祭られていて東大寺戒壇院の四天王像が有名だ。
ドルジさんは「日本では造木技術があるので仏像は木造だが、ブータンでは技術がないので壁画になった」
「壁画に使う絵の具は顔料。顔料は高価で貴重なもの。顔料のことで戦争に成ったこともある」と言う。
ゾンの中にもう少し入ると、私達密教者が普段の占いなどに使用する九星術表の壁画が見られた。
ゾンの僧達は、この表を使って今日でも、実際に仏事や慶事の日時に関する吉凶を占っているという。
日本の密教と同じ内容のものがブータンで今日に生きている事実を実感した瞬間であった。
またゾン中央には、数百メートル四方の石畳の広場があり、中央に大きな菩提樹の木がそびえ立っている。
ゾンとは前半分が行政を司る役所、後ろ半分が戴冠式や仏事を行う本堂であり2つの施設が合体した城の意味を持つ。
また、ここには本堂前に比較的小さな観音堂があった。
観音堂には観音菩薩が安置されていて、ここには大僧正と国王しか入れないと言う。昨年、国王が日本に行かれる前「日本に行くことでお陰が頂けますように」とここで祈ったとのことだ。
「この観音堂で御祈りされたことでブータンに来る日本人が増えました。これは観音様と国王のお陰です」とドルジさんは言って喜んでいた。
中央広場の中庭を通ってブナハ・ゾンの本堂に向かった。
この中央広場では、毎年春、ブータンの建国を祝う祭り「ドムチェ」と建国の父シャプドウンがチベット軍を打ち破った戦勝記念の祭り「ツチュ」が行われる。
祭りには、大きな壁一杯に「敷きマンダラ」を掛けてお祭りをすると言う。
この祭りの由来は、昔、シャプドウンがチベットの秘宝である観音菩薩像をチベットから持ち出してブータンに運んだことにある。怒ったチベットの第5世ダライラマは、シャプドウンがチベットから持ち出した観音菩薩像を取り返えそうとプナハに圧倒的な力を持ったチベット軍を派兵した。
しかし、シャプドウンは、プナハ・ゾンに立てこもったチベット軍を神がかりに打ち破ったということだ。
ツチュとは、この時の戦勝を記念してのブータンでは有名なお祭りのことを言う。