「節分について」
〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
21世紀の開幕です。はたしてどんな世紀が巡るのやら・・・???
2月3日は、節分!
1年は、立春、立夏、立秋、立冬、大きく4つの季節に分かれる。その季節の 分かれ際の前日に当たる日を節分という。
最近は、立冬から立春の2月3日のみを、節分と呼ぶようになった。
この日は、太陽暦によるものだが、太陰暦に当てはめると、12月末に当たるこ とになるため、この節分の日を「年越し」とも言う。
「年越し」に当たる節分の夜は、「追儺(ついな)」の行事が行なわれる。
「追儺」は、地方によって「鬼やらい」、「鬼追い」、「厄(やく)払い」と呼ばれる。
俗に人間に災いをもたらす「悪鬼を追い払う」意味をもっている。
この行事は、古来は中国で行われていたが、日本の宮中儀式として伝わり、慶 雲3年12月晦日に、文武天皇が初めて行ったと、「続日本紀」に記述があるとのことである。江戸時代からは、民間に広まり節分の日に行われるようになっ た。
鬼を追い払うために、中国では、「豆まき」が行われていた。
「豆」の字は、「魔滅」と魔を滅すると書き、豆をまいて魔を払う意味を持つ。
昔は、病気や災難もたらすのは、外にいる悪魔「外魔(げま)」の仕業と考えた。
しかし、仏教では、自分の心の中に潜む悪魔「内魔(ないま)」が原因と教える。
「内魔」は、「貪(とん)=むさぼり」、「瞋恚(しんに)=ねたみ」、「愚痴(ぐち)=おろかなくやみ、行い等」の3つの煩悩(ぼんのう)によって左右される。
私達は、どうしても色々な欲に惑わされる。これらの欲は、全て煩悩から生まれる。欲を適当に調整できる生活は、実に快適だ。
ところが欲の度を越すのが、人間であり、そこに「魔」が潜む。そしてその「魔」 が社会悪を生み、正常な人間社会を乱す原因になっている。
交通事故や思わぬ不可抗力の災害、事故を「外魔」と称すれば、虚栄の欲、過 度な仕事、過信した健康から生まれる病も、性の乱れも、犯罪に見え隠れするかたよった自己顕示欲など、社会生活を乱す欲の全てを「内魔」と呼ぶ。
これら全ての「魔」を「滅する」目的をもって「厄払い」、「豆まき」が行われ、 正常で安定した社会を作るために、人々を精神面から清浄化の刺激をし、心の秩序を保たせようとするのが節分の行事といえる。
また、真言宗では、節分の日に「星供養」という行事も合わせて行う。
この供養は、人間は生まれながらに持つ「自分の星」が、その人の生き方を運 命付けすると教える「宿曜経」など、様々な「星供養」のお経にもとづき行事を行う。この中では、本人が生まれながらに持つ「本命星(ほんみょうじょう)」、またその年々に巡って来る「当年星(とうねんじょう)」両方を供養する。
この内「当年星の供養」は、自分の生まれ年から九つ数え、一回りして再び自 分の元の星に戻ってくる、「九曜星(くようせい)」にもとづき供養を行う。そして順繰り数えて、
男:25歳、42歳、61歳(いずれも数え年)
女:19歳、33歳、61歳(同上)
この年に当たる人は、「厄年」といって悪い星周りとされる。
特に男42歳、女33歳は、「大厄」と言われ、気をつける必要がある。
その理由は、男盛り、一家の大黒柱と、人生の重要な年周りであるに拘わらず、 体力の衰え始めているのに、気付かぬ内に無理をする年代。
また、女性も育児や家事、仕事の中枢になっているにも拘わらず、やはり体力 に衰えの始まりを、気付かぬ内に無理をする年代。
そんな現実の人間社会の欲求に、「厄年」の意味が備わっている。
忙しい時代、時間の早い時代、こんな時こそ、自分を振り返り、自分のゆとり を発見する時間が必要です。節分の行事を通して、今一度自分の心のリズム、生活のリズムを、作り直してみては如何だろうか。
〈注釈〉 宿曜経 = 日、時間を太陰暦や星座を基準にして作られた暦を説明したお経。
本命星 = 北斗七星を支配している七つの星と生まれ年の十二支など組み合わ。その人が生まれた時にもつ運勢を見る密教の占星術。
九曜星 = 日、月、火、水、木、金、土の7曜の他に羅喉、計斗各々星を加えた9 つの星を数えてその年に巡った星の支配から運勢を見る密教の占星術。羅喉、計斗、火各々星は黒星で厄年の星とされる。相撲の黒星は、ここか ら生まれている。
貪瞋痴 = 人間の心に巣作っている3つの煩悩で三毒と呼ばれる。