菩薩行、韓国映画「商道」主人公イ・サンオクの生涯から菩薩行を考察
〈更新日: 平成28年7月 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
一般的に「菩薩」と言う言葉を説明しようとすると、その答えは「悟りを求めて修行する人」となります。
それでは「悟り」とは「修行する人」とは何ですかと言う疑問が湧き出てくる。
また、神様は、「全宇宙を創造した」といわれる教えもあるが、そこで素朴な疑問として生まれるのが「それでは神様は何処におられるのか」と考えてしまう。
又、「全宇宙の真理そのものが仏様又は、神様」と説明されても、これまたピンと来ない。
簡単に「仏様」、「神様」と言ってはみても、分かるようで分からないのが皆さんの本音だろうと思います。
それでは「全宇宙の真理とは何か」と言われても、これまた何のことやら分かりません。
宗教哲学を一口の言葉で説明しようと試みても理屈っぽくなってしまって簡単な話にはなりませんね。
ですから宗教を理解するときは、理屈を理解するのではなくて「信じなさい」という言葉に成ってしまいます。
でも訳の分からないものをただ「信じなさい」と言われても、そう簡単に出来るものでは有りません。
そこで必要とされるものが「悟る」所謂「自分に気付く」ことが理解する為の一番の近道になります。
そして、このことが「仏様」、「神様」を見つける一番の近道に繋がります。
では、「何に気付く」のでしょうか。
その一つは、全宇宙という抽象的な命題よりも寧ろ自分の身近な周辺にある自然の真理(法則)に気付くことが一番の近道でしょう。
例えば、「万有引力」という真理(法則)です。
「リンゴは、何故木から地面(地球上)に落ちるのだろうか」と疑問に思った人がニュートンです。ニュートンは、地球上では全ての物体と物体との間には、互いに引き合う力があると気付きました。
しかし、この万有引力という真理(法則)は、目に見えませんので自分で気付かなければ分かりません。
また、「空気」は、目には見えませんが、生き物が呼吸をする時、空気中の酸素が無ければ生きては行けません。
これもごく当たり前の真理(法則)です。
しかし、このことも全ての生物、人間が空気を吸って見て初めて空気の必要性、重要性が理解できることに成ります。
所謂、このように「自分に気付くこと」を別の言い方をすれば「悟り」ということに成ります。
ですから「悟り」とは、何か特別な人が深遠で高邁で特別な世界を知る事を言っているわけではありません。
私達一人ひとりが日常の当たり前と思っていることに「気付く」ことの事こそ「悟り」なのです。
そして、気付く為に勉強したり、高説を聞いたりして知識を広めることを「修行する」と言います。
断食、滝行、冷たい水の中での禊、何時間も痛みに耐えた座禅、しごき、のようなただ体を痛めつけたり、鍛えたりするようななんか特別な事をすることだけを「修行」と思いがちですがそうではありません。
ですから自分が何かに気付くために努力、勉強、精進することこそ「修行」と言います。
そして、さらに「自分で気付いた事」を人々に教えたり、物や形によって還元したり、分け与えたりすることを「菩薩行」と言って珍重される行為になります。
イ・ビョンフン監督の代表作の映画「商道」から「菩薩行」について考察してみます。
この映画は、19世紀朝鮮王朝時代の実在大商人イ・サンオクの波乱と苦悩に満ちた波乱の生涯を綴る映画です。
イ・サンオクは、貧しい境遇に生まれながら私利私欲より人の為、世の為に商売を行い高麗人参貿易で巨額の財を成した大商人です。
師匠ホン・ドクチュルから「商人は、金ではなくて人を持って財を成せ」、「人が残ることねそれが利益なのだ」と教えられました。
そして、イ・サンオクは、その教えの真髄を開花させて巨額な富を築きました。しかし、彼の晩年にはその真髄の中に秘められている「人を持って財となせ」という教えにもとづいて、築いた巨額の財の財全てを民衆に分け与えると自ら宣言して、貧しい万民救済の為にと全ての財を投げ出し奔走しました。
そして、商道を追求した商人哲学と知徳を持って苦難を乗り換えて奴婢から高位官職にまで上り詰めた人物です。
また、この映画のイ・ビョンフン監督が描く、「自分のことも大事だが、それ以上に他人を意識した心や行動、所謂密教の教えである自利利他」の思想を真正面から取り上げ描いている姿勢には賞賛し共感できるものがあります。
兎角、巨大な富を得た人間は、欲の塊となってさらに貪欲性を増し、高めて行こうとするのが過去も現在も未来においてでもそうであります。
しかし、イ・サンオクは、「財は、一時そこに溜まっても必ず上から下に流れて行くもの」、「手元に巨額な財を持ってみてもそれは一時的なものに過ぎない」とお金を社会の中にある物や人間を流れる血液と捉え、財を手元に置くより下流の民に分配しようとします。
これは、明らかに自分の中に気付いた考えを他者、民衆の為に還元、返そうとする「菩薩行」に他有りません。
仏教では、「貪瞋痴」という人間が陥りやすい欲の塊である三毒を一番嫌います。それは、ここの場所が人間にとって一番陥りやすい悪魔の場所で有るからです。商道の映画は、この三毒から解放された一人の「菩薩像」としてイ・サンオクを描こうとしていることが良く分かります。
ここをイ・ビョンフン監督が一番描きたかったところなのだなと里香氏医したところです。