「著書、空海と出会った精神科医(著者 保坂 隆)」の講演から一部
〈更新日: 令和元年12月 法燈 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
「著書、空海と出会った精神科医(著者 保坂 隆)」の講演から一部
一昨年5月東京品川にある高野山東京別院において保坂先生と出会うことができた。
保坂先生は、慶応大学医学部を卒業された後東海大学医学部の現場を経、その後カリフォルニャ校で学び帰国、その後聖路加国際病院に勤務の傍ら大学講師を務めるなどして、平成29年保坂サイコロオンコロジィー設立、腫瘍患者が陥る精神疾患に対し、薬を用いずにカウンセリングのみで腫瘍の治療効果を上げるなどガン患者さんへの、新しい精神治療アブーローチの仕方を持って現在、世界的に歩んでいる先生である。
東京別院では、「弘法大師の病気の有り様について、先生が研究されたことについてお話戴けないか」とお願いした。先生は、快く引き受けてくださり、スライドを作成し分かり易い内容に構成して講演を行ってくれた。
保坂先生は、精神科医であるのに何故空海に惹かれ研究の対象にしたのか。
先生は、当初は空海とは何者なのかは全く分からなかったと述べている。
保坂先生が現在行っている医療は、がん患者さんの精神的苦痛、疼痛や悪心等の身体症状など所謂、緩和ケアに関するものだ。懇親会の席上で以下のように述べていた。
「毎日、20名程のガン患者さんを診ています。薬は、全く使わずカウンセリングだけで治療します」と述べている。薬を使わず傾聴とカウンセリングだけで治療する医療行為事態、日本では初めてのことであり、世界的にも画期的な治療方法である。そんな先生の治療方針の原点がどこにあるのかを尋ねてみた。
その答えは、「弘法大空海の生き方、考え方そのもの」であることを強調されていた。
2012年、先生は、聖ロカ病院精神腫瘍科の医師として勤務する傍ら、高野山大学大学院通信制の学生として入学した。入学目的は、言うまでもなく「毎日、生死を彷徨っているがん患者さんに医師として向き合うには、どうすればよいのか」という自身の疑問に答えを探す為のものであった。
「先生、死んだら私は、どうなるのですか。何処へ行くのですか」と患者さんから毎日、尋ねられると言う。
懇親会の席上で先生は、「正直、医師としてどう答えたら分かりませんでした。皆さんでしたら、どう答えますか」と私達に逆に言葉を投げかけられた。勿論、その場での議論は、「喧々諤々」に盛り上がった。
「本当の医療」、「患者さんにどう寄り添えばいいのか」、「生命をどうすれば守れるのか」先生の切なる疑問が弘法大師空海に出会う切っ掛けに成ったと言っておられる。
先生の研究論文は、弘法大師の生涯を主に四段階に分けて考察し、その時々に発生した病理とその背景と理由についてまとめている。弘法大師は、この四つの期間に「三回のうつ病」を引き起こしたと言うのが先生の見解である。しかし弘法大師は、その都度「三つのうつ病」を克服して直ぐに次のステージへと進んでいる。
最初の段階は、18歳前後の大学進学を諦め仏道修行者と歩む決意をする時間。所謂、青年期に起きるアイデンティティーを確立するまでの「モラトリアム人間」としての迷いの時間を指摘する。しかしこの時、弘法大師は、虚空蔵求聞持行の修行を行うことで仏教の極めを悟り、自己のアイデンティティーを固めている。
そのことは、24歳の時に書いた「著書、三教指帰(さんごうしいき)」の中で知ることが出来る。
次の段階は、39歳前後の長安から帰国後、親しくなった最澄に結縁灌頂を授けようとした時の事である。
最澄へ当てた書簡の中に「まさに40歳に成ろうとしているが寿命が終わりそうだ」との記述が見られ、弘法大師は、体調を崩した様子が伺える。この為に灌頂を急いだと観られる。しかし、最澄に灌頂を授けるや否や体調が回復し直ぐに奔放に活動している。又、この灌頂の出来事以来、空海と最澄との間に一生涯に渡って深い亀裂を作る原因にもなった。次の段階は、空海48歳から51歳前後で、嵯峨天皇から満濃池灌漑整備、次の淳和天皇からの東大寺灌頂壇整備、綜芸種智院大学の建立その他「秘蔵鑰鑰(ひぞうほうやく)」などの他に膨大な著書制作そして最愛の弟、智泉(ちせん)の死などにより、生真面目な人間ほど持ち合わせやすい「メランコリック型うつ症状」がその時点で見え隠れしていると指摘する。58歳前後は、「体に悪瘡が出て2週間も治らない。天皇から戴いた大僧都職をお解ください」の上奏文を天皇に出している。しかし、この時もすぐに復帰して宮中行事に参加している。先生は、この悪瘡というのは、「免疫機能低下が原因より発生した出来物」と言う。現代医療では完治できるが、当時では無理でありこの事が合併症を併発し亡くなった要因と推測されると言っている。これは亡くなる9ケ月前の出来事で、その後、62歳時の死までへの準備に立ち向う事になる。