【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

札幌・羽幌での十三参り・水子供養【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】公式サイト

  • トップページ
  • ニュース
  • 真言宗と弘法大師空海について
  • お言葉
  • 真如院の歴史
  • 真如院について
  • 住職について
  • 行事
  • お経
  • 節分厄払い法要
  • 朝寺の会
  • 俳句会
  • 永代供養
  • お問い合わせ
  • お問い合わせ
  • 個人情報保護方針
永代供養
心の療養院でのカウンセリング
年忌表・四十九日表
住職行事予定表
お経
成田山真如院公式YouTubeチャンネル
虚空蔵菩薩求聞持行回想及び社会で実践した臨床事例記録~求聞持行回想、瞑想分析、五つの臨床事例、不動護摩修行回想他の記録|著者 高山 誓英|定価2,000円(税別)|成田山真如院住職「高山誓英」初となる著書「虚空蔵菩薩求聞持行回想及び社会で実践した臨床事例記録」が出版されました。僧侶としての修行とスピリチュアケア学、臨床瞑想法理論と実践、様々な社会的な臨床事例から気付いた回想記録を一冊の本にまとめました。

お言葉|【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養などお言葉|【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

「恋愛」という言葉

〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

「恋愛」という言葉の響きは、素晴らしい。この言葉には、若くても、年老いていても、「ときめき」と「あこがれ」を持つものだ。

私は、よく「恋愛」という言葉を、「恋」と「愛」に分けて話しをする。
「恋」という言葉は、「夢」であり「ロマン」だと話す。
言い換えれば、「恋」は、責任の伴わない「生きるバネ」とも言っている。
「生きるバネ」は、大変大切なものであり、「生きる活力源」である。
しかし、「恋」は、責任を伴わないから、わりと簡単! ダメだったらまた次を探すということになりかねない。

一方「愛」は、現実であり、足元であると解釈する。
「愛」は、異性に対しても、親に対しても、子供に対しても、心の中に平等に生まれる。
「愛」は、これこそ最も重要な命題と解釈されているが、同時に厳しい現実責任が必ず伴っているものだ。

嫁と姑、親と子、夫婦間、異性間の「思い合いと確執」など、現実には難しい壁や立ちはだかる何かがある。
しかし、現実生活を容易に過ごそうとすると、立ちはだかる壁を、乗り切らないと「愛」は結実しない。

その為、ダメだつたら、また次を探すといった簡単な「思い」は通じない。
ここに「心の捕らわれ、こだわり」が生じやすい。

その現実の難しい壁を、乗り切ろうとする心の活力源が、「恋」いわゆる「夢」であり「ロマン」ではないかと考える。
そして、この「恋」と「愛」の2つの言葉が、個々人の互いの心に、上手に調和、共生している姿が「恋愛」、という言葉の意味ではないかと考えている。

しかし現実は、個々の心の世界には違いがあり、価値観を共有して互いを受け入れ、気持ちを一つにして「恋愛」を、成し遂げられるのは、「まれ」と言える。

最近は、「主婦のパチンコ三昧(ざんまい)、サラ金地獄」、「男の酒、女、賭け事」 等を原因とする「恋愛ごっこ」を清算するカップルが多く見られる。
自分の都合、ゲーム感覚で「恋愛ごっこ」し、最後には異性、配偶者、子供に傷をつけてしまう。
昨年、私のところに寄せられた事例に、そんな「恋愛問題」がやたら多かった。
心が痛む!!

真言宗には、「理趣経(りしゅきょう)」という密教の大事なお経がある。
このお経の中から「恋愛」という言葉を覗いてみる。

「欲」を否定しようとしている人は、一見清らかであり、外見はかっこ良く見える。
しかし、お金を儲けたい、性的相手が欲しい、人より優れていたい、幸せになりたいなど、全ての「欲」は、人間にとって、否定するべきものというより、 むしろ生きようとする為の活力源としても見ることが出来る。

過度の「欲」は害になるが、「欲」は「生きるためのエネルギー」であり、否定するのではなく、むしろ肯定的に捕らえようとするのが密教の教えである。
この教えが「理趣経」の中に書かれている。

自分の心の中で、「欲の心」を否定し続けていくと、否定し終わったところには、逆に物事の対立を越えて、対立していた相手すらも、受け入れることが出来る「すがすがしさ=清浄(しょうじょう)」が現われてくる。
「理趣経」では、これを「大欲(たいよく)」といって、ここに「生命の源」が宿ると捕らえている。
実は、この「生命の源」が「恋愛の源」と置き換えられ、 人や物を「こだわりなく愛することが出来る力」になると教えている。

無責任時代ともいわれる現代に、もう一度自分の心を見つめ直し、「捕らわれやこだわりを越えた、責任ある愛」を探して欲しいものだ。
そして、自分だけが都合良いというのではなく、自分も他人も同じ幸せや利益が得られる、現実世界にしたいものだ。
難しいお経の中から、何かを読み取ってもらえればと思う。

〈注釈〉 理趣経 = 密教のお経で、真言宗の一番大事な経典の一つ。
  大欲 = 「欲」を否定しつづけ、越えたところに「欲」も肯定出来る力をもった「心」。

お言葉トップに戻る
Copyright (C) 2011 高野山真言宗成田山真如院