「コロナ感染に染まった1年間を振り返える」
〈更新日: 令和3年11先16日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
「コロナ感染に染まった1年間を振り返える」
「令和3年は、私にとって最悪の年」
コロナ感染症がおさまらず、私は5月に持病の悪化で入院、手術を受け、友人であった大事な僧侶を自死という思いもよらない形で亡くし、私の片腕であり大事な相談役であった札幌分院役員をガンで亡くした。
いずれの出来事も私にとってショックは大きく、心の傷となって残してしまった。
立て続けに起きた出来事ばかりであっただけに、精神的に元に戻すには時間が掛かりそうである。
毎日自分に対してムチを入れ、もう少し頑張れば目標としている大きな目的が解決、達成できると言い聞かせ
「あと一息だ!!」と自らを励ましながら何とか今年1年を乗り切れた。
「コロナ感染症と東京オリンピック、パラリンピックの振り返る」
1月3日菅前総理大臣は、全国に非常事態宣言を下した。3月には、少し収まりつつあるのかなと見ていたら東京小池知事の非常事態宣言が少し遅れた。僅か1週間程度だったが結果大変な感染が拡り収集が付かなくなるほどになった。政治も経済も社会も動揺していた。国は、最早打つ手なしと見て菅前総理大臣は、「全てワクチンに頼る」、「5月20日から接種を始め遅くとも10月か11月上旬までには全ての接種希望者にワクチンを提供する。そして収束を目指す」と宣言した。その時は、だれしも聞く耳を持っていなかった。
7月頃からは、感染がさらにひどく成り第5波がやってきた。この波は、大きかった。世界的には、ワクチンが定着しつつあり西欧諸国は、収まりつつあった。しかし、日本だけはワクチン接種の対応が遅れたとして、収束どころか感染が拡大した。野党は、「感染爆発を引き起こした政府には責任がある」と攻め立て、ついには「オリンピックを中止するべきだ」と国会で主張した。菅前総理大臣は、頑としてそれらの意見を受け入れず、ワクチン接種、オリンピック、パラリンピック開催の準備を粛々として行った。
そしてコロナ感染がピーク中にオリンピックが開催された。しかし、開催されても、野党、朝日新聞など一部のメディアは、オリンピック中止せよと主張した。ところがオリンピックが始まって熱戦が続き、オリンピックが持つスポーツエネルギーが感染力を勝りコロナ感染を忘れさせた。オリンピックでは、日本人選手の活躍が続いた。中でも伊藤、水谷組の卓球混合ダブルス優勝には感動した。同じくパラリンピックでは、障害のある方々が競技に向かう姿勢に胸を打たれた。特にボッチャ杉村選手の優勝は、手を叩いて飛び上がって喜んだ。ただ、オリンピック期間中のコロナ感染は、ただ事ではなかった。連日、コロナ患者感染者数、死亡者数に一喜一憂していた。世界中から日本国は、オリンピックもパラリンピックもコロナ感染も失敗し、経済崩壊が間近だ、日本国は滅びると手を叩いて囃し立てる国々が続出した。所が11月に入ってから感染者数が奇跡に近い減少が続き感染は、ほぼ収束した。あれほど悲観的に報道し続けていたメディアは驚き、世界からも日本には奇跡が起きたと持てはやしている。現在は、西欧やロシアが日本の最悪期を上回って再拡大している。
「何故、突然急速に感染者が減少して奇跡的に感染が収束したのだろう」と医療の専門家すら首を傾げている。
「お不動様信仰から見たもの」
私は、毎月28日に護摩を焚きお不動様と対話している。
そして、その中からコロナの感染状況を分析していた。護摩から受けた感じやお不動様の内証は、逐一フェイスブックで説明している。確か令和3年7月に焚いた後の報告では「お不動様は、そろそろコロナ感染は収束に向かい出した」と言っていた。そして9月の護摩後のお説教では、『「お不動様は、コロナは収束した」と言っていた』と参拝者に伝えた。勿論、フェイスブックでも知らせた。周囲では、まだ1日五千人を超える感染者が出ていた頃であり、「そんないい加減な事を言って良いのか」と批判に満ちた言葉で馬鹿にされた。
しかし、お不動様の言葉は間違っていなかった。これまでも北朝鮮の船騒動なども的中させている。
実に力のある仏様だ。やはりお不動様の言葉には、重みがあり信頼度が高い。
当山には、このお不動様の仏力を頼って多くの信者さんが訪ねて来る。そして信者さん達は、お不動様に願いを掛け、祈りが通じるようにと「ノマクサンマンダ・バーザラダン・・・」と御真言を唱えて必死に祈る。
必死の祈りと住職への信頼とがマッチすれば願いは成就している。しかし、打算的な祈りは反対に仏罰を受け悲惨な目に合っている。純粋な心からの祈りが大切だ。純粋な祈りでなければお不動様に心は伝わらない。