【高野山真言宗成田山真如院(羽幌本院・札幌分院)】札幌・羽幌での十三参り・水子供養など

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心と精神

〈更新日: 令和5年12月 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。

「心と精神」
心と精神という言葉を安易に使っているが、言葉の意味する内容が全然違う事に気付く。
大阪市大融寺でユング心理学を勉強している際に講師の山添 正先生(元親和女子大学学長)に尋ねて見た。
「先生、心と精神とは何が違うのですか」
すると山添先生は、「心とは、心理学用語であり。精神は、医学用語なのだ」と答えて戴いた。
確かに相談者の心理分析をする際、病気であるか否かを判断する際、「心が病んでいる」とか「精神が病んでいる」とかと簡単に同じ意味の内容で言葉を用いてしまっている事に気付く。
心理分析をする際、様々な方法を駆使して行うのだが、私が良く使っている方法は、「夢分析」や「バウムテスト」、「絵画療法」、「箱庭療法」、「絵本療法」、「瞑想法」、「カウンセリン」などさまざまな方法を用いている。
心理分析を行うには、専門の心理学の中で手法を勉強しておく必要がある。
私は、たまたま大阪市でのスピリチュアル・ケアを学ぶ機会があり、そこで山添先生や松本先生(元滋賀大学教授)からユング心理学について学ぶ機会を得た。左記の写真は、山添先生から箱庭療法について学ぶ訓練時の様子だ。
心に病を持つ方々は、精神医学では必ず病名が付けられる。だから、病院で診察を受けてしまえば必ず病気になっている。しかし、実際の臨床現場では多くの人に病気であるのかないのか区別がつかない事例を多く見かける。
私の所に来られる人は、今の自分の心の状態がどうなっているのか把握できないために来られる。
実際に臨床を受けられる方々の多くの人には、自分が病気であるか否かを判別出来ていない事例が多い。
それは、病気を隠して相談の為に来寺されたり、病気であることを知らないで来る方が多いからなのである。
その為、どうしても病気で有るか否かを判断する為にも、心理分析を行う事が必要に成る。
お寺には、「心の病」として尋ねられるが、実際に心理分析をしてみると、一見正常に見える方が大変な病気に成っていることが分かったり、リストカットして長きに入院されていた方を心理分析してみると意外と病気でなかったりすることがある。そして、「心の病」と言ってしまえば、病気に近い言葉に聞こえるが、意外とそうではない場合が結構多い事例を見ている。僧侶である私は、ごく普通に人の心の状態を常に見ている。
その為か多くの方々がお寺の門を叩かれるのだが、「心の中は、見えるものでは無い」しかし、「心の仕草や心の行動の様子から、その人の心の状態が良く見えてくるものだ」。私は、その心の仕草や心の行動の様子を見分ける力を持って相談者の心理分析をする。その事例の何例かは、私が書いた本の中で紹介させていただいた。最近の事例の中では、私が開発した「絵本療法」という手法を使って臨床し良い結果を生んだ事例もある。
密教家は、心理学者であり、密教の教えは、心理学そのものであると言っておきたい。
私がカウンセリングなどで対応させていただい中で特に多いのは、「うつ病」、「適応障害」、「統合失調症」、
「パーソナリティー障害」、「対人恐怖症」、「強迫性障害」、「解離性障害」、「発達障害」など病名の付く精神障害を持っている方が多い。しかしこれらの病名の付く事例を宗教家である私に相談することは筋違いであり、あくまで病院で診察されるべきことである。しかし、実際は、これらの方々を含め多くの方を臨床しており、臨床を無碍に断ってはいない。
ただ不思議にも宗教家である私がカウンセリングや心理分析法を用いて行った臨床事例は、難しい病気であったとしても、結果的に上手く行っている事例が多く、良報が報告されていることが多い。何故なのか!!
そこには、「心」という世界が、単に病名を付けられて薬漬けされて治療できる世界ではないから無いからなのだろう見ている。所謂、心の世界は、ファジー世界なので有り、そのファジー世界の中で自己の立ち位置や自我を見つけたとき、所謂、自立した自己を発見した時、言うなれば「自分を知った時」、「悟りを得た時」に意外と簡単に病んでいる心が治癒してしまうことが、これまでの多くの症例や事例を見た中で分かった。
お陰で数多くの臨床心理を実践の現場の中で対症療法し様々の病気の症例経過を学ばさせていただいた。
そして現在は、私なりの方法を持って臨床させて戴いて、多くの症例や事例に改善や良い結果が生んでいることに気付いている。具体症例や事例内容は、今後別冊本の中で紹介しようと考えている。

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