「お彼岸」
〈更新日: 2001年12月17日 〉 ※写真が掲載されている場合は、クリックすると拡大表示されます。
「厳しい冬が、あと少しで終わる」と思えば、気分がウキウキする。
重苦しく、長く、暗いトンネルの先に、薄明かりが見えて来たようだ。
そんな、暗い先に見える薄明かりは、この混迷した現実の岸から、希望が見える明日の向こう岸に、渡ろうとする心に似ている。
3月は、お彼岸の季節。
難しく、混迷した現実から、未来、明日に希望を振り向けていく心の状態を、「到彼岸(とうひがん)」という。
般若心経で「仏説 摩訶般若(まか はんにゃ) 波羅蜜多(はらみった) 心経」という、最初のくだりの経文がある。
この中で「波羅蜜多(はらみった)」は、原語で「パーラミッタ」と発音し、「あっちへ行ってしまった」という意味を持つ。
中国人は、このパーラミッタを「波羅蜜多」と漢字で音訳し、「あっちへ行ってしまった」の意味を漢字で表して、「到彼岸」としたのである。
彼岸の行事は、日本で生まれた、独特のものだ。
冬から春、夏から秋と、いずれも厳しい季節の後に、気分転換が図れそうな季節が待っている、そこに到彼岸の意味を込めて、作られた行事といえる。
しかし一昔は、彼岸の行事を、生活リズムを保つ大事な行事として捕らえられたが、「時間の境目」、「季節感」、「旬(しゅん)の感覚」がなくなった今日では、あまり重要視されていない。
大晦日、正月、節分、節句、土用の日、お盆と並んで彼岸の行事は、日本人が、四季を敏感に捉え、生活リズムを確認する、重要な年間行事として、位置付けられている。
加えてこのことは、季節感、情緒、奥ゆかしさ、わび、さびを知る、日本の心にもつながっている。
さて「到彼岸」、言い換えれば「心の安定した世界に到達する」には、どうすれば良いのか。
仏教では、ここに到る為に、六つの行いをしなさいと言う。一つ目、「布施(ふせ)波羅蜜多(はらみった)」、所謂「めぐみ」を分け与えること。要するに、独り占めでなく、自分の持ち物を譲れる心を持つことである。
二つ目、「戒(かい)波羅蜜多」、所謂「きりつ」を守ること。「戒」は、「外部から決められた決まり」の意味。しかし、その決まりを自ら守ろうとする心、「律(りつ)」がもっと重要である。
三つ目、「忍辱(にんにく)波羅蜜多」、所謂「がまん、辛抱」。「キレル」を代表する現代用語は、大人が作る社会環境に原因がある。他人を思いやれる心、物を大切にする心、ものの奥ゆかしさを知る心など、現代社会に生きる大人が、心に「ゆとり」を持てなくなているところに、「がまん、辛抱」をなくした原因が潜んでいる。
四つ目、「精進(しょうじん)波羅蜜多」、所謂「頑張り、努力」。「物事に集中力がない」、「すぐあきらめる」これも今日の流行語だ。今日、社会に、未来への目的、希望を見失っている現実が上げられる。ここには、「社会を前向きに生きる智恵」が必要であり、これが精進につながる。
五つ目、「禅定(ぜんじょう)波羅蜜多」、所謂「心の中に持つ静けさ、落ち着き」。落ち着きがない現代人は、目はキョロキョロ、吐く息は短く、呼吸が荒い。「心に静けさ」を保つには、呼吸をゆっくり、息を吐く時間を長くとること。そして、睡眠を十分に取り。気分転換を図り、リフレッシュする気構えが大事。そうすることで、独りでに、心には落ち着きが生まれる。
六つ目、「智慧(ちえ)波羅蜜多」、所謂「心に、あらゆる智恵を持つこと」。「智恵」は「賢さ」に相当する。その「智恵」も、他人や社会をも見詰められ、 「思いやりの賢さ」が必要とされる。
この六つの行いを常に示すことが、到彼岸に到る心と、仏は教える。今一度、彼岸の行事を見詰め直し、日本の心を発見し直して欲しいものだ。
〈注釈〉 般若心経 = 漢字262文字で書かれた、「空」の論理を説く代表的なお経
摩訶般若 = 摩訶(まか)は、とてつもなく大きいという意味
般若(はんにゃ)は、智恵の意味
心経 = 心髄の教えという意味